こんにちは、晏藤滉子です。
今日は独り言ですので悪しからず。
当たり前だったものが、そうでなくなった経験の呟きです。
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最近調子が悪かった、と思う。
特別嫌な出来事も(時にはあるが)そうないし、
至って普通の毎日。にも関わらず、テンション低めで凹みやすかった。
食欲も何だか安定せず、時々無性に食べ過ぎてしまう時だってある。
その原因には心当たりがある。
多分、時間の感覚が崩れ、太陽光に当たることが極端に減ったから、だと思う。
実は自宅マンションの修繕工事が5月から始まった。
これが結構大規模な工事で、8月まではマンションは覆われ、蚊帳の中となるのだ。
これは以前から連絡が来ていたので、私のする事は指示通りにベランダの片付けと荷物の撤去のみ。後は専門の業者さんが滞りなく外壁などを整えてくれる。
工事音もするだろうし、窓は締切になるだろう・・・抵抗は別に感じなかった。
そして修繕工事は始まった。
レースのカーテンだけではなく、遮光カーテンも締め切る生活が始まった。
気づいたことは、朝夜の時間の感覚が分からなくなるということ。
時刻は分かる・・・でもカーテンを閉め、ずっと部屋の照明をつけていると私の体内時計が混乱し始めたようだった。朝の工事前の数時間はカーテンを明けるものの、蚊帳の中なので朝日も直接拝めない。ぼんやりと曇天の中に居続けている。
私の体内時計はズレ始めたのかもしれない。
そういえば、この部屋を選んだ時の決め手は、見晴らしの良さだった。
視界を遮る建物がなく、当然覗かれる心配もない。窓を明け放したらどんなに気持ちよいだろう・・・そんな生活をイメージした。
実際、その通りだった。外でどんなに凹むことがあっても、自宅に帰り窓を全開にすると心は開放され自由だった。私はこの家が好きだった。
カーテンを締め切る生活は、私にストレスを与えていたのだろう。
「必要な工事なんだから」と理解していても、身体はちゃんと反応している。
人にって大切なことは違うもの。
音、環境、立地条件など・・・私の場合は、景色と空気感だったのだろう。
工事という非日常の経験で、その重要性に気づいた次第。
人間って当たり前にすぐ慣れて、自分にとって大切なものを見失うのかもしれない。
さて、そうは言っても8月までは蚊帳の中で生活している。
私が心掛けたことは、一日10分は屋外に出ること。
天気の良い日は買い物も歩いていこう、
そして昼夜逆転の生活にならないようするくらいだろうか。
それでも、何も手だてのないまま過ごすよりは有効だろう。
これから太陽の季節「夏」は確実に訪れるのだから・・・
蚊帳の中だけでは正直勿体ないと思うのだ。