こんにちは、晏藤滉子です。
今日は「誰かが作った食べ物に抵抗を感じる」のテーマで・・・これは正解のない問いかけですので悪しからずです(^^)
作り手の顔の見えないおむすびは食べられますか?
私自身、子供の頃それを密かに悩んでいた。
母親の握ったおむすびしか食べられないからだ。
当時はコンビニのおむすびみたいに「個包装」というモノはなかった時代。素手で握るのが当たり前だった。
友達家族と潮干狩りに行ったり、ピクニックにいったり、そんな時は友人母のお手製のおむすびを「どうぞ♪」と勧められる。凄くありがたいのに・・・そういうシーンが正直苦手だった。絶対そんな素振りはできないと子供ながらに理解している。だから「お腹はあんまり空いていないの」と何とかひとつ口の中に収めていく。
母親以外の人が握ったおむすびがダメ・・・これは大人になるまで誰にも言えなかったこと。
好意で勧めてくれるのに、頭で分かっているのに、身体が反応する。
私って薄情な人間なのかな・・・自分自身を責めていた。
意外と仲間がいるものだ
こんなの私だけなんだろうな・・・そう思い込んでいた。
だって誰にも云わなかったから。でも世の中には「私も!」という人が意外と多いことを知った。
それは友人のお弁当作りの話が発端だった。
「うちの子、おむすびに関して煩いの。コンビニのおむすび以外は食べられなくってね。私が握るのは渋々我慢してるみたいだけど・・・」
「へー、そんな子いるんだね。」私はしらばっくれて言った。
友人曰く「でも同級生でも結構いるみたい。男子に多い話かもしれないけど・・・潔癖なのかな」
私と似た者が、いるんだ・・・それは大きな驚きで、心の中で大きく頷いた。
そうしたら、同席していた他の友人達も・・・
「私もラップで握ったのしか無理かも」
「ウチの旦那さんは、手作り料理全部ダメ。実のお母さんのご飯も避けてるくらい」
あ、結構どころか沢山いるの? それも私よりずっと強者じゃない!
ホッとしつつ、内心嬉しかった。だってマイノリティーと自覚していた秘め事だから。
そこで手作り全般ダメというパターンでは、どうやって生活しているんだろうと興味が湧いた。
「じゃ、外食やテイクアウトばっかり・・・?」
「それがね、私が作った料理だけは大丈夫なの。旦那さんもそれは驚いてた。私だけ・・・なんて私も昔は感動しちゃってね♡」
「すごーい、運命感じるよね」
同席した友人たちは感心しきりだ。
「でもね、結婚して15年かな・・・いい加減それが重たくてウザったい。旦那さんの実家へ行っても何となく私が作らなくちゃいけない雰囲気醸し出すんだもの」
「確かに。それは重たいな・・・」
運命の出会いが現実に引き戻されてしまったようだ。
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「恋人の握ったおむすびは食べられる」
これは、付き合って結婚に発展する流れでは重要なキーワードだと思う。
特定の人以外のおむすびはダメ。
それは「潔癖」と捉えられがちだけれど、個人的にはちょっと違うと思っている。本人の気質というよりも「この人のおむすびなら大丈夫」という本能チックな動物的勘がそれを左右するのではないか・・・。出会ってから距離を縮めるには「安心して付き合える=心を許せる」という事は大切なことだ。それに「食べること」は毎日、健康な限り一生続くもの。其れにまつわる「動物的勘」は侮れないと思うのだ。
「おむすび案件」・・・きっとその人達も子供の頃は、「言い出せないな」と一人悩んでいたのかもしれない。案外子供の頃の悩みって人には言えないものだから…。