こんにちは、晏藤滉子です。
今日ゴールデンウィーク最終日ですね。
そういえば長い休みの最後の夜、子供の頃から憂鬱でした。
宿題やってない、計画したことに手を付けられなかったなど色々ある訳です。
でも、特別の「何か」がなくても漠然と憂鬱になる時があります。
実はこういうパターンの方が厄介だったりします。漠然なのですから当然正体が分からないもの。脳内で想像した産物に恐れを抱いているのですから無理もありません。
でも折角の連休最終日ですから、終始どんよりするのも勿体ないものですよね。
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まだ来ない明日を想像して憂鬱になる時ってあります。
自己肯定感が低めだったり、完璧主義だったりすると陥りやすいかもしれません。
「楽しい明日」を想像できるならば、憂鬱になったりはしないもの。
それが出来ない人は、きっと脳内で最悪のシチュエーションを想像しているのでしょう。
そんな時・・・有効なのは「ただ認めること」
俯瞰した「もう一人の自分」を登場させます。
位置的には自分の斜め45度上辺りでしょうか。
その位置で、もう一人の自分は「どんよりしている自分」をじっと見つめています。もう一人の自分は、「未来の自分」と捉えても、「本当の自分」と捉えてもOKです。
「もう一人の自分」は、貴方の横に座り直し、貴方の話に耳を傾けます。
家庭のこと、友人のこと、会社のこと・・・。
「もう一人の自分」はそれを聞いて、「そっか、そっか」と頷いている。
そしてこう伝えます。
「そんなことあったら、明日が怖くてしようがないよね。
不安になるのも憂鬱になるのも当たり前だよ」
「どんよりしているのも、不安なのも、怖いのも・・・それって当然。おかしくないよ」
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どんより憂鬱になっていることは気のせいではありません。心の中の「今の状態」。打ち消して消滅するものではありません。だって、実際にそう思っているのですから・・・。
だから、そう思っていること自体を許す(認める)ことです。
実際、未来への不安や恐れはあくまでも想像の産物。確かなのは、今の憂鬱さだけ。
だから「もう一人の自分」はそれをジャッジせず深堀せず受け止めるだけ。
シンプルな心のカラクリです。
「今日の憂鬱さは・・・至極当然のこと。貴方がどうのこうのの問題ではないんだよ」
今日も読んで下さってありがとうございます。 ご参考までに。