趣味や学びなど、あるところまでたどり着くと、急に伸び悩む事があります。
楽しくて始めたことなのに、一時は夢中だったのに・・・楽しくない。
子供でも大人でも起こり得ることです。
原因として、
興味が無くなった・・・単なる飽きただけなのかもしれません。
または、自分の無能力さを感じ苦しいということも多いものです。
周囲が優秀に見えて、自分がどうしようもない存在に感じてしまう。
どんなに努力しても、追いつく事すらできない。
「自分はちっぽけな存在」と自らレッテルを貼ってしまうのです。
それは辛い想いであり挫折感です。楽しくないのも当然です。
ただ、春になって新生活が始まると、このパターンに陥る人がとても多いのです。
5月くらいでしょうか・・・。
何故なら、新しい環境の中で、つい背伸びをしてしまう。
新しい環境では、周りがとても優秀でキラキラした存在に見えてしまう。
隣の芝生は青く見えるのです。その中で自分がどうも浮いてしまうと感じる時もあると思います。
自己評価の低さとは、自分の内面でのセルフ査定です。
公開査定ではありません。でも、内面では自分への厳しいフィードバックが突きつけられているのです。
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「自分がちっぽけな存在」と凹んでしまう。
もしも大切な友人が、自信を無くしてそう呟いていたら、
貴方はどのように言葉をかけますか?
「そんなことないよ」
「こんないいところあるから気にしないで」
そんな力づけるような言葉がけする人も多いかもしれません。
ある意味それは「無理やりポジティブ」です。
同じように、「自分はちっぽけな存在」と、
内なる自分自身が呟いていたらどうでしょうか?
「そんなことないよ」と心の中で伝えても、それはきっと届かない。
何故なら「自分はちっぽけな存在」と確かに思っているのだから・・・。
根拠のない励ましが嘘だと分かっている。
どんな時も、無理やりポジティブは心の奥底には入らないものです。
ネガティブな想念は、重くて湿って強力なもの。
簡単に亡き者にしようとしても、そうはいきません。
「自分はちっぽけな存在」という超ネガティブキャラが心の中で膝を抱えて拗ねている。
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そのような時…出来る事はひとつです。
膝を抱えて拗ねている存在の横に座ること。そして、その存在の話を聞くことです。
どこがダメなのか
どんな酷い事考えているのか
ネガティブ全開で、吐露させてあげることです。
これは紙に書くことをお勧めします。別に残す事はしなくても、身体の外に一旦感情を出すということが大事です。
ネガティブに拗ねている「私」も、自分の大切な一部です。
気にし過ぎないで・・・なんて誤魔化しは効かないのです。
寂しさや悔しさなど思いきり出し切ったら、ジャッジやアドバイスは無用です。
ただ「そっか、そっか・・・そう思ってたんだね」と頷くのみ。
それだけです。
それだけで、思いのたけを伝えた「存在」は昇華していく。
その昇華の先には、「もうちょっとやってみよう」か「思いきって辞めようか」は分からないけれど、自分にとって必要な選択をするようになるものです。波動が軽やかになるようなイメージです。
結局処方箋に記されているのは
「ちっぽけな存在でも、それはそれで良いでしょう」の一文だと思うのです。
どんな私も「ワタシ」なのですから。
今日も読んで下さってありがとうございます。 ご参考までに(^^)/