こんにちは、晏藤滉子です。
本日で連続投稿1407回目のブログとなりました。
今回は「言葉を鵜呑みにしないこと」をテーマに共有いたしましょう。
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人間関係において「言葉」はとても重要だけれど、それによって翻弄されることが多いもの。誰でも少なからず経験あるのではないでしょうか。
嘘までの自覚はなくても・・・
つい空気を読んで発した言葉、
その場を取り繕うための言葉、
相手を安心させるため信じさせるために。
言葉によって安心し、言葉によって火に油が注がれる・・・言葉を扱う人間ならではの良くも悪くもコミュニケーションです。
でもね・・・自分の事を省みても思うのですが、「心の内」を言語化するのってシンプルなだけに難しい。「好きだ!」「嫌いだ!」と子供のように素直に表現することは、それまでの経験上から至極難解な行為になってしまうものです。「これを言ったらこうなる、ああなる」「相手はこう思うかもしれない」「いや、そこまで言ったら人間終わるだろう」など・・・ありとあらゆることを脳内シミュレーションを繰り広げているものです。
だから大人になるにつれ・・・本当の気持ちを言語化することが難しくなるし、下手にもなる。プライドや見栄が邪魔をしていることもあるでしょう。
いい大人になり経験値が上がるほど、伝言値は下がっていく。
「あの時、どうしてちゃんと伝えなかったんだろう」みたいな経験ばかりが増えていくものです。日本では「察して」という文化がありますが、それは言語化を超えてサイキックの領域に入るもの。そう簡単に身に付けられるものではありません。
じゃあ、言葉でなくて何を信用したらよいのかですよね。
私自身「ん?この人どうなの?」と感じる時、言葉よりも行動を信じます。どんなスマートな受け答えをしても、ふとした行動に人間性は現れるもの。無口で会話が繋がり難い人であっても、さりげない誠実さや優しさが垣間見れる場面はあるものです。今までの経験上そのようなケースは何度も観てきました。
相手を見る時は行動を観る。
これは同時に自分自身にもいえることです。良い人間関係を繋ぎたいと思うならば、言葉だけではなく行動でそれを表すこと。誠実な態度とか、配慮とか、自分の想いを伝える努力とか・・・会話が上手いだけでは得られない関係性を築きたいと思うならば尚更です。
言葉で翻弄され「どうすればいいの?」「何を信じたらいいの?」と思い悩む時、一歩引いて「その人の行動」を静かに観ることが大切です。その人は自分に相応しい人なのか、これからも安心して繋がれる人なのか・・・その見極めも自分次第、自己責任だと思うのです。
今日も読んで下さってありがとうございます。 どうぞご参考までに(^^)/