こんにちは、晏藤滉子です。
今日は厳しめのタイトルですが、
身近に起こり得るテーマだと強く感じたので共有いたしますね。
他人の自信を奪う人は「自信のないひと」
他者から自信を奪う人・・・
一緒に居ると「私は何も出来ない。ダメな人間だ」と感じてしまう。
または圧をかけて感情的に追い詰める人です。
自信を奪われた方は、委縮し怯え、自分に対し「無力だ」と烙印を押してしまう。
これは特殊な関係性ではありません。
職場、学校、家族、友人など、起こりがちな関係性です。
親が子に対して
上司が部下に対して
先生と生徒の間で・・・
昔から、厳しい愛情とか、根性を育てるとか、相手の事を思って・・・という表現が使われていました。でも、「自信を奪われている人」は分かっているものです。例え上手く言語化出来なくても、愛からきている言動か否か・・・本能で分かるものです。
もしそこに「愛」があるならば、衝突して怒り狂っても、無力感のような「エネルギー枯渇」までいかないものです。
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自信を奪う人は、「自信がない人」がほとんどです。
自分を認めてもらいたいという「自己承認欲求」を追い続けている。
だから、相手の自信を奪うことで精神的マウンティングを行ってしまうのです。
内心では焦って追い詰められている感が満載なのに。
相手の否を指摘する時は、その部分だけ注意すればいい。
でも、相手の自信を奪うついでに、相手を支配してしまおう。
そのような構図が出来てしまうものです。
そして、「ダメな役に立たない人間だ」と洗脳していく。
委縮し、疲弊し、すり減っていく残酷な展開になりがちです。
本当は「奪う人」だって、誰かに奪われた人だったのでしょう。
理由は人それぞれ不明でも、過去の被害者は加害者になるものです。
底なし沼から脱出する「はじめの一歩」
「自己承認欲求」は底なし沼です。人によって解消されることは永遠にあり得ません。「沼」から脱出するには、自分が自分自身を認め、許した時だけ。
得意な事も不得意なことも、陰も陽も全部含め、自分を受け入れた場合だけで
す。誰かが救い出してくれることは残念ながらありえません。
「無力感」に苛まれているのなら、その関係性から離れましょう。
自分を守る為に闘ってもいい。でも攻撃する為ではありません、自分の尊厳を守る為です。
根本的な解決は離れること。距離をおくことです。
もしも状況や、環境的に難しいならば、「離れる」と決意し準備を密かに進めてみましょう。
自信を奪う人が・・・
親であったら、自立するために
上司だったら、転職の準備
友人であったら、新しいコミュニティを創っていく
決定→準備です。どんな小さなベイビーステップでもOK。
その過程だけでも、脱出する道が朧げに見えてくるものです。
「自分はダメで無力な人間」とレッテルを張られたままでは活路は見出せません。決めて動くことから、本当の意味で自己承認欲求は満たされていくものです。
他者に認められる事は尺度にすぎません。
真の自己承認をした時、始めて「沼」から生還できると思うのです。
たとえそれが小さな一歩だとしても・・・。
今日も読んで下さってありがとうございます。 ご参考までに(^^)/