こんにちは、晏藤滉子です。
本日で連続投稿911日目のブログとなりました。
今日は「立冬」ですね。
暦の上のことですが、これから冬本番に入っていく節目。今年も残りわずかだと実感する次第です。
今日のテーマは「期待」について。
期待って良い意味でも使われるし、そう深く考えないで使っている言葉のひとつかもしれません。でも、「期待」って意外と人を縛る思いが込められていると思うのです。
特に人間関係において、「期待してる」は相手をコントロール(支配)しかねない圧を感じさせるものです。
期待してるから頑張って
きっとやり遂げると期待する
私を幸せにしてくれると期待する
良好な人間関係の上ならば、期待は信頼であり応援です。でも言われた方がもしも圧を感じていたならば、関係性にヒビが入っていたならば、途端にそれは呪いになってしまうのです。
親が子へ、上司から部下へ、夫から妻へ・・・
その「期待してるから・・・」を耳にした時気持ちが重くなってしまうのなら、
期待は毒を含む呪いの言葉になっている筈です。
期待に応えれば大切にされる、愛される、喜んでくれる・・・条件付きの相手の反応は自分の本音を抑え込んでしまう影響力があるものです。
相手の反応次第で、自分は幸せにも不幸せにもなる。
その上で期待に応えなければならない・・・と思うならば、期待は依存の始まりとも言えます。既に相手との相互依存になっているのかもしれません。
それは他者との人間関係だけではなく、自分自身への期待も要注意です。自分への期待とは自己承認欲求です。これは自己尊重とも違うもの。自己承認欲求は高過ぎれば、自分はもっと出来るはず認められるはず・・・と意識だけは高い状態に。それが原動力になる内は上手く回るけれど、一旦躓いた時一気に劣等感に苛まれるものです。
期待とは諸刃の剣です。使い過ぎては凶器になる。
人間関係も壊してしまう事がある。
それを避けるためには・・・他者によって自分を満たさないこと。他者の(勝手な)期待で自分軸を歪めない事です。そして「今ここ」の自分を満たす事。今出来る範囲で自分を活かし切ることです。
他者との関係性に永遠はありえません。
年齢や環境など・・・時が経てば関係性は必ず変容するものです。その時点で「期待という依存」に気づいても遅かった、ということもあり得ます。
一番重要なことは、自分の幸せに責任を取るという意識だと思うのです。
今日も読んで下さってありがとうございます。 ご参考までに(^^)/