星読み・数読み・ジブン読み

晏藤滉子(アンドウ ヒロコ)です。心理学をベースに、西洋占星術と潜在数秘術で「意識の錬金術」を

生きていく力を育む人間関係

      



こんにちは、晏藤滉子です。

本日で連続投稿1297回目のブログとなりました。

 

先日カフェで珈琲タイムを楽しんでいたところ、隣の席の会話が耳に入ってきました。二人のママ友らしき関係性の女性達、どうやら義実家との付き合い方で悩んでいるようです。悩んで愚痴をこぼしている様なのですが、聞き役の女性が何気に熱くなっている。「私だったら!」と自論を語るなど感情的にもなっている様子。愚痴っていた女性はもしかしたら「聞いて貰いたいだけ」だったのかもしれません。それなのに相手が熱くなってしまい若干引き気味、言葉も少なめです。

 

そのような光景って日常的によく見かけます。

 

必要以上に相手に踏み込んで介入してくる。大袈裟に表現するならば、国の境界線を無視してブルドーザーで踏み込んでくるようなものです。領土ならば当然問題になり戦争にもなりかねません。でも「心の境界線」の場合、本人の自覚がなければ大事にはなり難いものです。何故ならば「境界線を越えたい人」は相手をコントロールしたい人であり、多くの場合それを受け入れる人とセットになっているから。需要と供給・・・共依存ですね。

 

前述のママ友同志のお悩み相談・・・

もしも片方が「愚痴を聞いて貰いたいだけ、自分のことは自分で決めるし」のスタンスならばコントロールの傘下に入ることはないでしょう。ただ自分の選択を他者に丸投げしてしまう時、全ての主導権を相手に委ねることになってしまうものです。極端な話ですが、他人軸の生き方に慣れてしまったら十分起こり得ることです。

 

 

その人のことを想って・・・

その人の役に立ちたいの・・・

 

一見思いやりのある優しい言葉も、当人の問題解決能力を奪う殺し文句となるものです。そこで必要以上に介入することはその人の生きる力さえも奪ってしまうのです。

 

そのような関係性は、家族間や仕事の上下関係などでもよく見かけます。

「私がいなければ・・・」という自己承認を満たすコントロールよりも

「私がいなくても・・・」と生きていく力を育んでいく。

 

人間関係は相手を抑え込むものではなく、相手と共存共栄していくこと。

コントロールという下心は不要だと思うのです。

 

 

今日も読んで下さってありがとうございます。  ご参考までに(^^)/