今週のお題「感謝したいこと」
こんにちは、晏藤滉子です。
今回は今週のお題「感謝したいこと」よりいってみましょう(^^)/
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だいぶ以前、「ありがとう」を決まった数(沢山だったと思います)呟くと
良い事が起こる・・・なんてことを聞いた事があります。
出所はちょっと不明で恐縮ですが、私の個人的な好みからいうと、
そういうのは余り好きではありません。
それを信じて実践している人を批判している訳ではありません。
ただ、自分の好みではないだけ。それだけのことです。
「好きでない」その理由は、それをしている自分を想像したら
どうにも魅力を感じないのです。
私の中では、感情がのっている「ありがとう」、
笑顔を伴う「ありがとう」を伝えることに価値があるようです。
ただ、若い頃は謙遜する時期が確かにありました。
褒められたりすると、つい恥ずかしくなって、
「えー、そんなことないですよ」と謙遜っぽい言い回しをすることが多かった。
内心は嬉しいのに・・・そういう時期ありますよね。10代20代は特に。
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ただ、中年以降になると「ありがとう」にまつわる感情は変化するようです。
(もしかしたら私だけかもしれませんが)
表面上の謙遜や、ワザとらしい「ありがとう」は格好悪いと感じてしまうのです。
この場合の格好悪いは美醜ではなく、潔くないということです。
形だけの謙遜は、その人の社交場の裏が垣間見えてしまうし、
ワザとらしい「ありがとう」も、「それ本心じゃないでしょ」と勘ぐってしまう。
結構辛辣な人間観察をしてしまいます。
大人の社交辞令といえばそうですが、「めんどうだな」とつい思ってしまう。
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そうは言っても、私自身「ありがとう」はよく使うほうかもしれません。
ただ謙遜言葉は出来るだけ使わないようにしています。
何かで褒められたら「ありがとう!嬉しい♪」と喜ぶし、
親切にされて嬉しかったら「ありがとう!」とハッキリ伝えます。
人生の折り返し地点過ぎたら、無闇な謙遜はもったいないこと。
褒めてくれた人も楽しくないはず。
褒められたら「ありがとう!」と言葉で伝え、
けなされた時は「は?それがなにか?」と、脳内で見得を切る。
嬉しい事は外に出し、ムカッとすることは自分の内側で落としどころを探る、
結構これは「人生お気楽に生きるコツ」といえると思うのです。
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もうひとつ、「ありがとう」をよく使う場面があります。
それは、自分の潜在領域に対して。
潜在領域では、私に対して常に色んなサインを投げかけてきます。
時には質問に対する答の時もあります。
失くし物を探している、
迷っている
アドバイスが欲しい
その答えが降ってきたと感じた時にはズバリ「ありがとう!」
人を介しての言葉、不意に目に留まる言葉、閃きなどですね。
急にゾロ目を連続して見かける時も「ありがとう!」。
そう思うと、結構つかっていますね(^^) もうゲーム感覚です。
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「ありがとう」・・・とても美しい語音だと思います。
スンナリ入ってくるし、心地よい響き。
日本語不慣れな外国の方も「ありがとう」はとても上手ですよね。
だからこそ、思いを込めて大切にしたいと思うのです。
折角の素敵な日本の言葉ですから(^^)/
今日も読んで下さってありがとう♪ それではまた。