こんにちは、晏藤滉子です。
今日は、得意のほぼ独り言です(^^)
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私の最近の楽しみは、猫の動画を見ること。
フワフワでムチムチタイプの猫様が好み。
就寝前のまったり時間には、間接照明で灯りを落とし、
ウイスキーをお供に猫の動画に浸っている。
至福デスナ・・・♪
いい年齢の大人が、夜な夜な繰り返すこの風景は
誰にもお見せできない代物です。
でも、夢中になって動画を見入っている私の斜め後ろには、
俯瞰して観ている「誰か」が確かにいるのです。
それは、「もう一人の自分」。
何かに熱中している時って、
「もう一人の自分」の視線と入れ替わる瞬間って経験ありませんか?
ふと、我に返るという瞬間です。
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その夜の私は、「あー、カワイイ♡」の連打でした。
もう、その猫様を抱きしめているようなイメージが出来上がっている。
カワイイ、カワイイ、カワイイ・・・♪
そこで、ふと我に返った瞬間。
「いい年の大人が可愛い? 恥ずかしくない?」
もう一人のクールな自分がモノ申す。結構、バッサリ気味に。
確かに、20代くらいまでは臆することなく「可愛い」を連発していたし、
それも許されていた風潮がありました。
何でもかんでも「可愛い」が許される世代。
でも、社会に出たり、人間関係の上下とか、色んな縛りものが出てくるころから、「自分の年齢や在り方に相応しい言葉」を選ぶことが余儀なくされるものです。
いつの間にか「可愛い」は・・・
素晴らしい、綺麗、素敵、お見事などTPOに合わせた言葉に変換されていきました。
それには、何の問題もありません。
振舞いや、言葉遣いのTPOは、マナーのようなもの。
その場の雰囲気を創り上げるものですから。
でもね・・・「可愛い!」は正直テンションが上がるもの。
キュンとするとか、どうしようもなく反応してしまう時、
そんな時はやっぱり「可愛い!」でなくちゃダメ。
街中で、そのようなモノを見かけると、脳内で「可愛い」と連呼してしまう。
若い頃に使っていた「可愛い」は、反射的にでてくるもの。
大人の発する「可愛い」は、ある意味興奮を伴うものかもしれません。
ちょっと話は逸れますが、知り合いに魅力的な高齢女性がいらっしゃいます。
ちょこんと座っていて、いつもニコニコしている柔らかい雰囲気。
「こんな感じの可愛いお婆ちゃんになりたいな」と自然に思ってしまう。
こんな時の「可愛い」は賞賛です。本音の賛美。
やっぱり、人生の最後まで握りしめていたいのは「可愛い」でありたいな。
あくまでも個人的な捉えだけれど、「可愛い!」という好奇心とトキメキと癒しを感じられるものに、幾つになっても囲まれて生きていたいな・・・と思うのです。
大人の「可愛い」は正義だと信じているから(^^)/
それは尊い正義に違いない・・・と思うのです。
今日も読んで下さってありがとうございます。 それでは、また♪