こんにちは、晏藤滉子です。
だいぶ秋らしくなってきましたね。
食欲の秋、読書の秋・・・貴方の今年の秋のテーマは何でしょう?
私は、今まで苦手と思って手を付けてこなかったことをやってみようかと・・・、変容の秋ですね。
さて今日のテーマは、「親と子の呪いの言葉」について共有いたしましょう。
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「呪いの言葉」などというと、おどろおどろしいイメージ。
呪いの言葉といっても、あからさまな恨みつらみのことではありません。
要は、親(養育者)の「口癖」「よく使う表現」です。
口癖のような言葉でも幼少期に刷り込まれる場合、大人になっても呪いが解かれない場合が多く見られます。特に思春期の反抗期がなかったり、他人軸で物事を捉えがちな人は呪いを解く好機を逃しがちになるようです。
注意すべきは、多くの場合「悪意」はないということ。つい言ってしまうくらいのレベルです。でも、幼少期の子供は何でも吸い込むスポンジのようなもの。その何気ない言葉を吸い取ってしまうことになるのです。
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親(養育者)がよく使う言葉で、大人になっても記憶に残っている言葉はありませんか?私の場合は「お母さんの言う事を聞いていればいいから」でした。
子供は、幼少期であればそれをそのまま意識に刷り込みます。拒絶したり疑問に思う事はありません。でもね・・・刷り込みながらも内心では「モヤっと」しているものです。
その違和感すらも幼少期の子供は気づかないことが多いもの。ちょっとムズムズするくらいです。
その「モヤモヤ」「ムズムズ」は、「それは刷り込まなくても良いよ」という潜在領域からの体感的なサイン。 大抵「モヤっと」する言葉は子供の自尊心を傷つける言葉です。だからこそ「その言葉は要注意!」の黄色信号が、「本当の自分」から発令されるのです。
その違和感をぶつけるのはいわゆる思春期の反抗期。
自分と親は一体ではないと自覚し、境界線を仕切り直す時期でもあります。
そうは言っても、このタイミングは、思春期に限ったことではありません。
中年になっても、初老になっても自分と向き合う事に季節外れはありませんから。
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親は知ってか知らずか、親の口癖は子供に刷り込まれてしまうもの。
思春期以降に、親から投げられた言葉をどう捉えるのかが、当人にとっての明暗を分けるものになるのかもしれません。
私は要領悪い
私はダメだ
何をやっても中途半端
呪いの言葉を自分で咀嚼して「そんなことないもん!」と言葉を乗り越えられたらALL OK。対して、ずっと呪いが掛けられたままの場合もあります。
呪い通りの現実を目の前に投影してしまう
同じタイプの人がいつも傍にいる
同じパターンを繰り返す
そんなことが不思議と起こりがちになるのです。
それでは呪いからは抜けられないのか・・・それは出来る事だと信じています。
「お前という人間は・・・」
そんな呪いを信じなければ良いのです。
投げかけられた言葉に対して、じっくりと咀嚼し
「それって本当のこと?」と問いかけてみて下さい。
「そんなことない・・・」本当の自分が小さい声を上げるのを聴いてみて欲しいのです。
自己肯定感とは、この小さな声をしっかり聞いて受け止めてあげる事。
自分を信じるというよりも、自分の要素全部を受け止める覚悟です。
自己肯定感によって、呪いは自然と解かれるものです。
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呪いは解かれて、その言葉が昇華できれば「無効」となります。
でも子供が大人になって、中年と言われる時期になって、それでもその言葉が刷り込まれたままになっているケースを見かけます。当人は気づいてないでしょうが。
そこで何が起きるのか・・・
年老いた親と、初老となったかつての子供。
年老いた親は手がかかり、ある意味子供に返っていく自然の流れ。
そこで、呪いを掛けられた子供は、年老いた親に対して、同じ呪いの言葉を投げかける。
実際言葉として投げかける場合もあるし、親に対し脳内で呪文を唱える場合もある。
したことは返される・・・怖い話。
子供からしても「悪意」はない。ただ刷り込まれたものを発露しているだけの話だ。
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もしも・・・貴方が何らかの呪いを幼少期に掛けられて、そのまま握りしめているのなら、早くそれらを解放してあげてください。貴方自身を自由にするために是非!
「それって、本当のこと?」
その問いかけは、自分の人生を歩くための一歩です(^^)/
今日も読んで下さってありがとうございます。 ご参考までに。