こんにちは、晏藤滉子です。
すっかり秋らしくなってきましたね(^^)
空も高くなって朝の空気は澄んでいて・・・
チョコレートの美味しさをしみじみ感じるのは、やっぱり秋からの季節。
今日は「ひとり外食」について、私の個人的な想いを共有いたしますね。
「ひとり外食」は好みが分かれるもの
「ひとり外食」というものは好みがハッキリ分かれるカテゴリーだと思います。
普段はとても行動的な人なのに、一人なら絶対お店に入らないという人は意外と多いようです。実は昔の私もダメなタイプでした。一人でお店に入るくらいなら食事を我慢してしまう。今とは全く真逆ですが(^^)。
「苦手派」の共通意見は、
「何だか女性が一人で外食しているのは寂しそう」というもの。
そんなイメージがあるみたいですね。だからこそ、自分はそう見られたくない意識が働くのでしょう。私もそういう所多分にあったと思います。
対して、「ひとり外食大好き派」は“おひとり様ブーム”もあり、この10年くらいで市民権を得ているようです。外食でも、旅行でも「ひとりが好き」を公言できる。そういうタイプにとっては、敢えて「一人」を選択することが普通です。だって自由ですから。
現在の私は両方の捉え方を経験している訳ですが・・・どちらも本人が好きな方でOK。だから「可哀そう」「寂しそう」は不要な判断ですよね。
本人の好きな事をしているのですから(^^)
ひとり外食は修行の場
ここからは私の個人的な考えです。
「おひとり様大好き派」の私は、意識していることがあります。
それは、おひとり様の空間をかっこよく楽しむという姿勢は崩さない。
「おひとりさま」の世界観を大事にしたいのです。
私にとって、ひとりを愉しむ女性のイメージがあります。
静かに堂々とひとりの世界を堪能する知的な女性
リラックスしながらも姿勢がピンと通っている
私が「おひとりさま」の目指す領域です。
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だいぶ以前のこと、向田邦子さんのエッセイで印象的な文章と出会いました。
京都の有名な鱧料理屋さんに、一人で予約をいれ来店した時の事。気楽なお店と思っていたらとても立派な大広間に通されました。その重厚な雰囲気に押されながらもお料理とお酒を堪能する。帰り際お店の仲居さんがこう言ったそうです。『長くここで働いているけど、女一人でこの料亭に来た人はいない。あんたさん、きっとご出世しますよ』と。
要約ですが、このエッセイが私にとっての「おひとりさまバイブル」。
憧れです(^^)
おひとりさまに対して、周囲は勝手にイメージを持つものです。
でも、どんな視線をかけられても、自分の世界を尊び大切に扱うこと。
自己尊重の見本のように感じます。
自分の世界を美しくするのも、汚すのも自分。
そう考えるようになってから、私の「おひとりさま」は修行になったのです。
苦しい辛いというのではなく、理想に近づく努力の修行。
食事をする時は誰でも無防備な部分を見せなくてはなりません。
ひとりだからこそ、姿勢をしゃんと伸ばして振舞いを美しくスマートに・・・などと考えると修行チックになるものです。
でもね、これって結構慣れてくるととても楽しい。
修行だと捉えると、逆にどんな場所にでも行けてしまうのが不思議です。
老舗のバー、由緒あるお店など・・・ある意味「道場破り」の意気込みです。
(決して荒らしません!)
私にとって「ひとり外食」は修行の場。
時にはとても素敵な年上女性に出会うこともあります。
「私はまだまだ・・・」と思う反面、そんな素敵な方に近づいてるんだという楽しみ。
「おひとりさま」は辞められないものです。
今日も読んで下さってありがとうございます。 それではまた(^^)/