星読み・数読み・ジブン読み

晏藤滉子(アンドウ ヒロコ)です。心理学をベースに、西洋占星術と潜在数秘術で「意識の錬金術」を

「無観客」について思う事

お題「#おうち時間

 

  

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こんにちは、晏藤滉子です。

 

感染症の規制も次第に緩くなってきましたね。

通勤者も交通量も次第に増えてきています。

 

とは言って、まだ油断せずに行きましょうの段階とは捉えていますが。

 

色んな情報が飛び交ってカオスになり

私自身何が真実かどうか分からなくなっています。

 

ただ、自分が出来る範囲で後悔のないような行動するのみでしょうか。

 

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ここからはあくまでも個人的な思いですので悪しからずm(__)m

 

規制が緩くなってきた今後暫く、野球を始めスポーツ実況やライブなどを

“無観客”にする傾向のようです。現時点では致し方ないことだと思います。



ただこの春、スポーツや音楽の場で「無観客」のライブ実況を見た時

何とも言えない驚きを感じたのです。

 

いつも映像を楽しんでいるものとは、全く別物のように見えたから。

 

特に、大相撲などは画面に観客が常に映り込んでいるのが当たり前のこと。

空席を背景とし、静まり返った中での一番は未だかつてない雰囲気でした。

 

野球も同じく・・・スポーツと静寂がこんなに違和感をもたらすものなんて驚きでした。

 

勿論、大事な場面で観客が自ら「無音」に努めることはありますが、

あくまでも瞬間的な緊張を、その場全員で共有する形です。

 

人の気配のないことがこんなに影響をもたらすものなのか。

その影響をリアルに感じました。

 

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ライブやスポーツ観戦など、主役はアーティストや選手と捉えていました。

そのパフォーマンスを観て楽しんで応援するのが観客の立ち位置かと。

 

でも、自粛生活の「無観客仕様の映像」からは、観客あっての「場」ということを改めて確認しました。観客は主役のサポーター役ではなく全体の相乗効果をもたらすもの。

 

「場」を創るというのはこういう事なのかと再確認した次第です。

だってね・・・味気ないですよね。

テレビの映像だとしても、躍動感やときめきを共有し難いのです。

 

その事を一番感じているのは、

無観客の中で活動する選手やアーティストなのかもしれません。

 

だからこそ、観戦やライブ参加が可能になった時の「お楽しみ」は相当なものかもしれませんね(^^)/  選手、アーティストそして観客も共に場を創造するのですから。

 

その時を楽しみに。今を油断せず過ごしてまいりましょう(^^)



今日も読んで下さってありがとうございます。  それではまた♪