こんにちは、晏藤滉子です。
本日で連続投稿2041回目のブログとなりました(^^♪
何だか面倒くさい時ってありますよね。
掃除が、ゴハン作りが、仕事が、朝のメイクが・・・
有形無形のそれこそ恋愛だって面倒くさい対象になるものです。
面倒くさい内でも必要なものと不要なものがあります。
その判断基準は、それをする時間と気力があるならば他の事をしたいor単に面倒で億劫になっているだけ。其処にはとても深い境界線が引かれているものです。
その時間を他事に掛けたいならば・・・その人にとっては重要でない案件なのでしょう。他力に委ねる、サボる、回避策を考えれば良いのです。家事でそれをやれば後ろめたい気分になるかもですが、自分のQOLを上げる為には何らかの策も必要です。とは言え誰かが提案するのを待つのは不毛です。「察して」と心中で呟いても察してくれることは稀だと思うのです。そこでカリカリするならば、話し合うなり打開策を模索することです。
一方・・・やりたい事だけれど面倒くさい場合。
本音でやりたい案件ならば、やる為の環境を意図的に作り直すタイミングといえるでしょう。当人にとって必要だと思うならば「面倒くさい」という感情はサインだと思うのです。そのサインとはある意味‟クレーム”であり、どこか気に入らないポイントが必ずある筈です。そのポイントこそ面倒くさいと思わせる躓き易い「何か」です。また逆算的にイメージすることも有効です。「楽しみながらソレをする自分」はどんな状況下でソレをしているのだろう・・・と細部にわたりイメージする。
それは一人で静かにかもしれないし、仲間とワイワイしながらかもしれない
自分へのご褒美が必要なのかもしれないし・・・シックリするポイントは必ず存在すると思うのです。
面倒くさい=苦行、ではなく
面倒くさいから・・・楽しんでやるような要因を引きずり出す。
一番のNGは面倒くさいまま無理やりやってしまうこと。
これはある意味自分を裏切る行為になってしまうものです。
それに正直なところ、楽しむ為の要因を探ることこそ面倒くさいかもしれませんよね。
でもね・・・手間暇かけるだけの価値はあると思うのです。
本当の自分との繋がりを強固なものにすることなのだから(^^)/
急がば回れ! です。
今日も読んで下さってありがとうございます。 それではまた。
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