星読み・数読み・ジブン読み

晏藤滉子(アンドウ ヒロコ)です。心理学をベースに、西洋占星術と潜在数秘術で「意識の錬金術」を

大人は遊ぶための大義名分が必要なのか

      

 

こんにちは、晏藤滉子です。

本日で連続投稿1640回目のブログとなりました(^^♪

 

子供の頃は当たり前に出来ることで大人になって出来ないこと、

それは「遊ぶこと」なのかもしれません。

 

子供の頃は池に小石を投げ続けたり、夕日を眺めながら延々とお喋りしたり・・・一見意味のないようなことを(好きならば)無心になって遊ぶものです。

 

遊び・・・大人になると趣味と云われるものなのでしょう。

でもね趣味は遊びのような純粋さが観られないような気がするのです。

ちょっと余分な枝葉が見え隠れしてしまう。お金をかけて道具を揃えたりとか、どこかで仕事に繋げようとか・・・大人の忖度や見栄や自己満足がチラチラ見えてしまうもの。

 

ただ続けることだけで幸せ・・・そんな遊びの本質からちょっとズレているような。

 

自分自身を省みても、純粋に楽しむ単純に遊ぶって暫くご無沙汰な気がします。旅行やドライブも「自分へのご褒美♪」「ストレス解消!」と大義名分を振りかざしているのだから・・・。理由がないと大っぴらに遊べない、そんな大人の不自由さを感じます。

 

貴方が純粋に遊ぶならば何をしますか?

ひたすら遊び続けることで至福に満たされるような・・・

 

恥ずかしながら・・・正直私は考え込んでしまいました。

つい大義名分を考えてしまう癖がついてしまう、

単純に面白そう! という好奇心で動けない・・・ほんと大人は不自由です。

 

自分が本当に心惹かれるもの、夢中になれるもの・・・そんなものに出会ったならば大切にしたいもの。自分へのご機嫌取りやストレス解消のはけ口には使わない・・・「遊びの流儀」は先ず其処からなのでしょうね。

 

 

今日も読んで下さってありがとうございます。 それではまた(^^)/

 

 

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