こんにちは、晏藤滉子です。
本日で連続投稿1616回目のブログとなりました(^^♪
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「丁寧な生活」って魅力的な響きですよね。
余裕がある豊かなイメージそれに意識の高さも伺えます。
豊かだから丁寧な生活が出来るのか
丁寧な生活をしているから豊かなのか・・・
私は後者だと考えています。神々は日常に宿ると信じているから。
物理的に豊かそうな生活をしていても日常が干からびている人もいるし、
丁寧な生活をしていても、物理的豊かさとは程遠い人もいます。ただ丁寧な生活を実践している人は自己完結している、「今ここ」で充分幸せを感じているのでしょう。
「丁寧な生活」の定義って人によって違うものです。
食生活で無添加やオーガニックに拘ったりする人、住環境やシンプルな暮らし手作りのものに囲まれたい、人間関係もある意味丁寧さが問われるところでしょう。全てを完璧に! のタイプもあれば「出来る範囲でほどほどに」のタイプもある。意識の問題なので正解はありません。
でもね、「丁寧な生活」が拘りの象徴ならばその根っこには「気が乗ること」が必須だと思うのです。逆にいえば気が乗らないことに拘っているならば執着になる、当人や周囲を束縛するものになってしまう。
気が乗ることを自分の楽しみとして生活に取り入れる。
それは自然な形で継続可能なことだと思うのです。もしも眉間に皺寄せて頑張らなくてはいけないことならば「丁寧な生活」とは程遠いもの、それはステイタスとしてブームに感化されているのかもしれません。「皆がやってるから」「かっこいいから」・・・みたいにね。
気が乗ることを淡々と続けていくと、その先には自ずと「丁寧な生活」の輪郭が浮かび上がって来るものです。
それが在るだけで心が和むような軽いエネルギーが溢れた生活。
そのような「丁寧な生活」こそ豊かさの象徴、神が宿る場だと思うのです。
今日も読んで下さってありがとうございます。 それではまた(^^)/
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