こんにちは、晏藤滉子です。
本日で連続投稿1126回目のブログとなりました。
今日は個人的なつぶやきですので悪しからずです(^^♪
最近知人との会話の中で「子供に持たせていたお弁当箱が処分できない」という話題になりました。お母さんである彼女は息子のために毎朝お弁当を作っていたそうです。
運動部の朝練もあり、大学入学までのほぼ6年近く・・・朝練後のおむすびと、昼食用のお弁当の二つ。
結構大変なのよ~と彼女はよく言っていたけれど、
久しぶりに会った時「そのお弁当箱がね・・・どうにも処分できないの」。
なんとなく分かるような気がしました。
お弁当箱ってそもそも「容器」です。
タッパーなどは同じ容器だけれど、ちょっとくたびれてきたら簡単に捨てられる。でもお弁当箱は細かい傷だらけになっても、そうとう年代物になったとしてもなかなか処分し難いものかもしれません。その場にいた他の知人も「そうそう」と共感している。
きっと「記憶」が鍵なのでしょう。
毎朝どんな時もお弁当箱の枠の中で、何を入れようか、美味しく食べてくれるのか、好き嫌いも考えて、夏場は傷むことにも配慮して・・・けだるい朝なのに考えることは盛りだくさん。前日喧嘩したこともあっただろうし・・・意地でも作った時もあった筈。
きっとお弁当箱を見た途端、何かのスイッチが入るのかもしれません。
まるでパブロフの犬のように・・・
私は自分のお弁当を作っていた時期がありましたが、
人に作ってあげるのと、自分の為のお弁当は気合がまるで違うもの。
お母さんのお弁当は何気に作っているようで、
密かに気合は入っているのでしょう。
この気合は侮れないものです。
例えば、実家暮らしの人がダイエットし難いのは、普段の食事に家人の気合が密かに入っているからと聞いたことがあります。作る段階で「たくさん食べてね。美味しく食べてね」と気合がこっそり混入されている。そりゃ、つい食べ過ぎてしまいますよね(^^♪
お弁当作りならば・・・もちろん気合満載なのでしょう。
お弁当卒業を待ち焦がれていたのに、清々したはずなのに、何だか物寂しい気持ちになってしまうものかもしれません。
数年分の記憶がつまっているのならば、お母さんにとってお弁当箱はある意味「勲章」だと思うのです。だから大切な勲章を簡単に処分できるはずもなく・・・なのでしょう。
そういえば実家の母は幼稚園時代のお弁当箱を、高校生になってから毎日持たせてくれました。アルマイト製で百一匹わんちゃんの図柄のもの・・・きっと実家台所の片隅にはまだあると思うのです。お弁当には並々ならぬ気合を入れるタイプの母でしたから('◇')ゞ
記憶が詰まったものは・・・やはり処分は難しいのでしょうね。
今日も読んで下さってありがとうございます。 それではまた♪