こんにちは、晏藤滉子です。
本日で連続投稿1069回目のブログとなりました(^^)
今日は「違和感や不快な感情について」共有いたしましょう。
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人間誰でも、快・不快や感情の浮き沈みがあるものです。
快ならばさざ波のように静かで穏やかで苦も無く見守っていられるもの。でも怒りや悲しみなどの不快な感情が沸き上がれば心の中は嵐になります。でも大人になる程に、それを表に出すことは「恥」とみなされ隠してしまうものです。
内心では荒ぶる子が地団駄踏んで叫んでいたとしても・・・です。
内なる荒ぶる子は理屈は通用せずに感覚を押し通してきます。因みに心理学でいうところのインナーチャイルドとも違う存在、女性性といえる存在です。
悲しい、寂しい、怒れる、拒絶・・・拗ねてやさぐれている時だってある。例え自らの内面の心の状態であっても、途方に暮れてしまうものです。
例えば、朝ふと見たニュースに違和感や不快さを感じた時、それを引きずり夜には不機嫌になっている。内なる荒ぶる子は鎮まるどころか強くなっていくものです。
それは無視するから。聞いてくれないから。
だから主張はエスカレートしてしまう。
内なる荒ぶる子が叫ぶ時・・・聞くことが一番大切です。
何が嫌だったのか、どんな想いだったのか、どうしてほしいのか。
内なる子供はちゃんと聞いてほしいだけ、他意はありません。
荒ぶる子を静かな場所に連れ出して聞いてみることです。片手間に聞くのではなくちゃんと耳を傾けるために。一人の時間を荒ぶる子のために使うこと・・・そのことは自分を整える意味でも重要なことです。
それはメンタルが不安定な場合、「内なる子」が無視されていることが多いから。
「内なる子」の主張を聴くことは、ある意味「本当の自分」を知ることでもあるのです。
これは荒ぶる時だけではありません。快・喜びの時だって同じです。
こういうことが好き、楽しい、嬉しい・・・ただ聞いてほしいと思っています。
「内なる子」の声を聴くことは、他の誰にも出来ないことです。
つまり内なる子のご機嫌は、自分次第であるということ。真剣に声を拾い上げることは心の安寧に繋がっているのですから。
今日も読んで下さってありがとうございます。 ご参考までに(^^)/