こんにちは、晏藤滉子です。
今日は個人的な呟きですので悪しからず('◇')ゞ
実は私、人と関わる仕事しながら、相当な人見知りです。
それはもう子供の頃から、人混みは苦手だし、友達もほんと少数で・・・。
外でドッチボールするよりも家で本を読んでいる方が遥かに楽しい。
でも、大人になるにつれバイトをしたり、就職したり何かしら社会と関わる時、何故だか「人と関わる仕事」ばかり就いてしまうことに気づきました。
人が苦手なのに・・・人と繋がるような物事を選んでしまう。
自分でもその理由は分かりませんでした。
当時の私は、「人と話す時本音を出さない」ことが多かったように覚えています。空気を読み過ぎて、相手の思惑に沿った言動を先回りしようとする、何ともややこしいタイプ。それが的を得ているとは思いません。だって本人に確認していないのだから。
でも無意識にそんなことをしてしまうのです。子供なりの処世術だったのかもしれません。そうは言っても、そんなコミュニケーションは長続きしなくて、疲れ果てるだけ。会話を楽しむなんて夢のまた夢。どうしても人疲れしてしまいます。
大人になって、自分自身の心のカラクリに気づいた時「なーるほど!」と納得しました。人間の悩みの多くは「自分の心」がネックになることが多いものです。理想の人のようになろうと努力するよりも、「本当の自分の姿」を真正面から見ることが幸せへの近道だったりするものです。例えば、利き腕が左であったとしたら右利きに矯正することもあり得ます。でも、馴染んだ利き腕を変えることは正直至難の業です。それよりも開き直って左利きを最大限に生かそうとする生き方の方がラクです。
人間好きの人見知りがいても面白いかもしれない・・と開き直るようになりました。
そう吹っ切れた辺りから、不思議な事が起こりました。
それは、見知らぬ人から話しかけられることが連続したということ。
旅行先の露天風呂で高齢のご婦人に話しかけられたり、
道に迷った人に途中まで同行したり、その香水は何処のですか?と若い女性に声を掛けられたり・・・人見知りだったら卒倒してしまいそうなシチュエーションばかりです。
でも・・・そのどれも楽しかった!
相変わらず、知人の中では空気を読む人であるけれど、
二度と会う事はないだろうな・・・という人に対して、私は思い切り「素の顔」を表していたようです。笑ったり、面白がったり、屈託なく会話が続く・・・始めて会って通り過ぎていく人に取り繕うこともないだろう、私はワタシなんだから。
ある意味、通り過ぎる人に「最高の私」を見せている。
これは「人見知りあるある」かもしれません。
本当は、身近な人や繋がっている人に取り繕わず、「最高の私」を見せられたなら、もっと生き易かっただろうなと思ってしまう。
それは、きっと人見知りだからこその気づきなんでしょうね(^^)