今週のお題「お弁当」
こんにちは、晏藤滉子です。
今日は久しぶりに今週のお題より「お弁当」について。
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世の中のお弁当事情、最近の風潮といえば「キャラ弁」の台頭かもしれません。
私のお弁当時代には勿論あり得ないお弁当の絵面です。
「今の子供ってこんなに手の込んだお弁当持ってるの?」
ある意味カルチャーショックです。
お子さんもお母さんも楽しんでいるのなら何よりですが、
個人的には好みではありません。
まあ、私自身が「創り込まれた料理」を好まないだけなので・・・。
お弁当って毎日のモノだし、もっと素朴で作った人の個性が出ても良いのではと思うのです。綺麗すぎ可愛すぎの完璧でなくてもOKと感じています。
とはいっても、以前テレビ番組で見かけた「仕返し弁当」。
家族の中で、言いたくても云いづらい「心の声」をお弁当にしたためた仕返し弁当。
これは正直そそられました(^^) 直接言ったら角が立つ言葉でも、お弁当を通して伝えたら何だかクスっと笑えてくる。ユーモアがクッションとなりメッセージを伝えてくれる。
流石、母さんおみごと! と、感心しきりです。
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お弁当ってメッセージなんですよね。
毎日だから、作り手の体調や機嫌も入ってくる。
パンパンに詰める具合も、玉子焼きの焦げ具合も、おかずの配置も含め、
それを毎日開ける家人(子供)に、視覚で刷り込まれていくのです。
相変わらずのお弁当の顔。それは安定を感じる源なのかもしれません。
定番のお弁当の顔・・・それはお母さんの顔なのかもしれません。
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私も子供の頃、母がお弁当作ってくれていました。
母は家事全般にプライドを持っていた人。たとえ娘で在ろうとも台所に立つことを喜ばなかった人・・・多分ペースを乱されるの嫌だったんでしょうね。
だから母から娘への味の伝承はなかった・・・とずっと思っていました。
私の味は、自分で身に付けたものだと思っていました。
でもそれは違っていた。というのは私自身無意識のうちに「母の味」を目指していたようです。人参の切り方、季節の煮物、フライの揚げ具合・・・些細な料理のあれこれに母の姿を追い求めていたのです。
お弁当だって、母のプライドなのか気合が入っていました。
正に「母の作品発表会」のようなものですから。帰宅してお弁当箱を渡す時「皆ビックリしてたよ♪」と伝えると母はとても嬉しそうで機嫌が良い。
そんなお弁当にまつわる記憶だけれど・・・多かれ少なかれ皆もっているだろうな。
不思議な事だけれど・・・「母のお弁当の顔」なんて思い出の絵面だけれど、私が自分の為にたまに作る「お弁当の顔」も最近何だか似てきている。ご飯の入れ方、玉子焼きの色、きんぴらの配置、彩の入れ方・・・確かに似ているのだ。
母のお弁当を食べる事は、もうないのだろうけれど、記憶にはちゃんと残っている。
お弁当って、やはりメッセージなのだろうと思うのです。