星読み・数読み・ジブン読み

晏藤滉子(アンドウ ヒロコ)です。心理学をベースに、西洋占星術と潜在数秘術で「意識の錬金術」を

お弁当って「母の発表会」なのかもしれない

今週のお題「お弁当」

 

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こんにちは、晏藤滉子です。

今日は久しぶりに今週のお題より「お弁当」について。

 

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世の中のお弁当事情、最近の風潮といえば「キャラ弁」の台頭かもしれません。

私のお弁当時代には勿論あり得ないお弁当の絵面です。

 

「今の子供ってこんなに手の込んだお弁当持ってるの?」

ある意味カルチャーショックです。

 

お子さんもお母さんも楽しんでいるのなら何よりですが、

個人的には好みではありません。

 

まあ、私自身が「創り込まれた料理」を好まないだけなので・・・。

 

お弁当って毎日のモノだし、もっと素朴で作った人の個性が出ても良いのではと思うのです。綺麗すぎ可愛すぎの完璧でなくてもOKと感じています。

 

とはいっても、以前テレビ番組で見かけた「仕返し弁当」。

家族の中で、言いたくても云いづらい「心の声」をお弁当にしたためた仕返し弁当。

これは正直そそられました(^^) 直接言ったら角が立つ言葉でも、お弁当を通して伝えたら何だかクスっと笑えてくる。ユーモアがクッションとなりメッセージを伝えてくれる。

 

流石、母さんおみごと! と、感心しきりです。



***

 

お弁当ってメッセージなんですよね。

 

毎日だから、作り手の体調や機嫌も入ってくる。

パンパンに詰める具合も、玉子焼きの焦げ具合も、おかずの配置も含め、

それを毎日開ける家人(子供)に、視覚で刷り込まれていくのです。

 

相変わらずのお弁当の顔。それは安定を感じる源なのかもしれません。

定番のお弁当の顔・・・それはお母さんの顔なのかもしれません。

 

***

 

私も子供の頃、母がお弁当作ってくれていました。

母は家事全般にプライドを持っていた人。たとえ娘で在ろうとも台所に立つことを喜ばなかった人・・・多分ペースを乱されるの嫌だったんでしょうね。

だから母から娘への味の伝承はなかった・・・とずっと思っていました。

 

私の味は、自分で身に付けたものだと思っていました。

でもそれは違っていた。というのは私自身無意識のうちに「母の味」を目指していたようです。人参の切り方、季節の煮物、フライの揚げ具合・・・些細な料理のあれこれに母の姿を追い求めていたのです。

 

お弁当だって、母のプライドなのか気合が入っていました。

正に「母の作品発表会」のようなものですから。帰宅してお弁当箱を渡す時「皆ビックリしてたよ♪」と伝えると母はとても嬉しそうで機嫌が良い。

 

そんなお弁当にまつわる記憶だけれど・・・多かれ少なかれ皆もっているだろうな。

 

不思議な事だけれど・・・「母のお弁当の顔」なんて思い出の絵面だけれど、私が自分の為にたまに作る「お弁当の顔」も最近何だか似てきている。ご飯の入れ方、玉子焼きの色、きんぴらの配置、彩の入れ方・・・確かに似ているのだ。

 

母のお弁当を食べる事は、もうないのだろうけれど、記憶にはちゃんと残っている。

 

お弁当って、やはりメッセージなのだろうと思うのです。