こんにちは、晏藤滉子です。
この一年、外出を控えたりしている方は多いと思います。
私もその一人です。
先日も友人と話していたら、
「そういえば暫く電車乗ってないな」とか「街へ行くのが億劫になって」・・・という話題になりました。私自身もお家大好きタイプだし、食料さえあれば自粛生活もそう苦にはならないものです。
でも、私がここで気になったのは「億劫になった」というフレーズです。
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今までの状況では、自粛や公共のマナーは必要なことと理解しています。
その上で自覚しておくことは、その結果「思考停止になっている」ということ。
「億劫になっている」は思考停止の証と感じたのです。
私自身、外出時や人と会う時などマスクをしています。でもそれは正直息苦しくて負担になる。その窮屈さを考えたら自宅で過ごす方が遥かにラクなのです。ついでにメイクとか洋服とかも構わなくなる傾向に(-"-) 自然と刺激は減り「思考停止の沼」に嵌っていくのでしょう。
自宅は大抵「自分を守る、自分の基盤となる」…自分にとっての城です。
外へ出ていく為の心の砦にもなる。でも自粛生活は城に籠城していたようなものです。
外へ出ていくのが危険だったから・・・身を守るには必要なことでした。
それが半年一年となると、それが次第に当たり前となってしまうもの。人間は慣れる生き物でもありますから。
でもその状態で「自分の未来」をイメージすることは難しい。
そもそも自宅は「リアルな願望」が詰まった箱です。
駅から近いとか、間取りはこうで、買い物や通勤が便利で・・・リアルな生活に則しているものです。願望はあっても創造するものではありません。
そこに閉じこもっていたら、次第に創造性とは離れていくことになるものです。
自粛生活以前は、創造性を刺激し発揮するために人は行動していました。
人と会ったり、観劇したり、旅行にいったり・・・創造性を刺激する自分なりの方法を
とっていました。でもそれが難しくなり次第に意識は縮小してしまう。
「億劫になっている」という状態は、「今」を楽しめないことにも繋がります。
そこで大切なことは、堅くなって重くなった自分自身に風穴を開けることです。
自分の感覚を創造性を刺激していくこと。
それは今の状況でも可能な「非現実」を自ら創ることです。
これは友人と、家族とではなく「ひとり」ですること。
自分のペースで感じ、想い、イメージする事ができるから。
近場の海にいく
自然の中を散歩する
今まで行けなかったカフェに行ってみる
景色のよい道をドライブする
早朝の神社へいく
遠くへいかなくても、普段と違う行動を「ひとり」でとってみることです。
自宅というリアルな箱は、安全で安心で私を守ってくれるものです。
でもそこに閉じこもっていたら、自分の内側では循環は滞ってしまいます。
自分に風穴を開けること・・・この時期とても大切なことだと思うのです。
今日も読んでくださってありがとうございます。 ご参考までに(^^)/