こんにちは、晏藤滉子です。
朝夕だいぶ寒さを感じるようになってきましたね。
私自身は相当暑がりなタイプですが、流石に家中で半袖は寒くなってきました。
こんな話を「冷え性友人」にすると「信じられない!」と一刀両断ですが(^^)
さて、今日は「アウトプット」の意義について共有いたしましょう。
インプットオタクという「沼」
私は以前、インプットオタクでした。
つまり、知識や情報を入れることに執着していました。
実際、本を読む量も半端ないし、師匠の関わる講座、興味のある分野のセミナーは反射神経でポチっと申し込んでいる。自己投資もしました。
でもね・・・インプットオタク生活は充実していたし、楽しかった。
何より強制された分野ではなく、自分が好んで選んだものだから。
際限のない「インプット沼」は、当時の私にとってオアシスでした。
アウトプット沼にダイブする
私自身、仕事を絡めた発信は必要だろうと、自覚はしていました。
でも、私は普段から自己開示がどうにも苦手。他者の聞き役は好んでも、
「自分の話」はハードルが高い。そうは言っても、私個人の星図からは「情報発信」は人生の重要なテーマでした。
アウトプットに向かう、その転機は何気に訪れました。
去年5月、何かの拍子に「100日ブログを継続する」という誰かの挑戦ブログを見かけたのがキッカケです。
個性もあるでしょうが、私が何かを継続したり夢中になることって
「強い決意」「インフルエンサーの影響」「流行」ではありません。
知人の呟きとか、目に入った広告、ネットサーフィンで偶然入ってきた情報・・・。「あ、面白いかも」と感じる何かとの出会いが「沼の入口」、というパターンを持っていました。
決意というか、思いつきで転機を迎えるタイプ。後々にならないとその意味がわからないものです。
ふとした閃きこそ、「アウトプット沼」にダイブしたキッカケなのかもしれません。
アウトプットは誰の為?
そんな、ブログ連続投稿も529日。
その経緯を心のカラクリで読み解くのは別の機会にいたしましょう(^^)
この529日・・・もう綱渡りのスリルです。悪戦苦闘の毎日。
元々苦手な分野なので半泣きしたこともありました。
でも、これほど続いているのは「アウトプット沼」に見事にはまったことを意味します。
苦手だった自己開示を「経験サンプル」として自然に開示てきるようになったことは自分自身でも大きな驚きです。自己開示しても「攻撃する人、離れる人」はいないと概念の上書きが出来たのかもしれない。
「アウトプット沼」の恩恵は、インプットオタクで得た学びや情報を昇華し、発信する循環を作ってくれたことです。。
インプットオタクの頃は、学ぶことで満足する、単なる情報入手でした。
それを自分の脳内で噛み砕いて、自分の言葉に置き換えて発信する。
手に入れた情報を熟成させ、自分の智慧に昇華させる行程がとても大切と気づいたこと。
それがなくては、インプットとアウトプットの循環を止めて情報自体を澱ませてしまう。
澱んだ水では、情報は朽ちてしまう。
アウトプットは、自分の為にやっていたのかもしれません。
生きた情報やシェアすること、自分の弱さや経験を受け止めて貰える喜び。
それらを受け取っているのは私自身です。
お金や、仕事、人間関係もエネルギーの循環があって豊かなものになる。
インプットオタクの頃には出来ない経験です。
そして、最近ではインプットの吟味をするように。
「自分が昇華したいもの」と選ぶようになってきている事に気づきました。
「これを自分のモノに熟成させ、自分の言葉で伝えたい」
そんな衝動に駆られるものだけ選んでいる。
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今年12月以降は「風の時代」と云われています。
水瓶座の「風の質」が時代のテーマです。
「風の時代」は、個としての情報発信(ネット経由)がメインになると思われます。近年のインスタや動画など「個の発信」の風潮はすでに現れています。
「自分の想い」を表現する場があり、そこに共感する人が次第に集まってくる。そのような場を新しく創造しようとする人達も登場することでしょう。
人工的な作為ではない、磁石のような自然な引き寄せのような集いの場。
ビジネス絡み、リア充自慢、いいね!の数・・・それらは過去の流れであり、
もっとリアルな自然な「人の集まり」
「想いをアウトプット」・・・そんな時代になると思うのです。
今日も読んで下さってありがとうございます。 どうぞ、ご参考までに。