星読み・数読み・ジブン読み

晏藤滉子(アンドウ ヒロコ)です。心理学をベースに、西洋占星術と潜在数秘術で「意識の錬金術」を

親と子の距離の取り方 その弐

 

こんにちは、晏藤滉子です。

 

今日は前回の続きです。

yasura7165.hatenablog.com

 

 

親と子の関係性の特徴

 

親と子の関係は不思議だと感じます。

 

人は誰しも、アイデンティティ(役割の仮面)を

自然に使い分けているものです。

 

 

友人であり、父親であり、釣りが好きで、○○会社に勤めていて・・・

生きていれば無数の仮面をもっているのです。

 

 

貴方が知っている仮面もあれば、

その人が他の世界で見せている仮面もあります。

 

けれど、親と子の間で限定すれば

親からみたら「子供は子供でしかない」

子からみたら「親は親でしかない」

 

単一化してしまうのです。

もちろん、親も子もそれぞれ仮面は持っています。

 

けれど、向き合った時は「親」と「子」でしかなくなるのです。

 

 

子が生まれた時、

親にとって、子は「自分が守らなくていけない未熟な存在」

 

子にとって、

親は「命を守ってくれる絶対的な存在」

いくら年月が経ってもお互いの捉え方に本能的な色合いが含まれるのです。

 

 

子が成長し家庭をもって親となっても

社会人として成功していても

 

親は子を内心「未熟な存在」と、

子は親を内心「頭が上がらない存在」と

多かれ少なかれ自覚しています。

 

 

この関係性は終生続いていきます。

 

 

お盆とかで数世代に渡る宴会があると

老齢の親が初老の子供に対してさえ

「子供扱い」している光景

見たりしますよね。

 

親となり、その子が子供(孫)を生んでも

親から見たら、子は「孫の親」ではなく、

常に「子」にしか見えないのです。

 

 

 

親子関係は罪悪感という呪いが入り込みやすい

 

 

そして、大きな特徴として

親子の関係性には「罪悪感」が入り込みやすいということ。

 

 

罪悪感も本能的な感情です

 

集団の概念(一般常識)から外れる場合、

同時にその集団から排除される危険を感じる。

本能的な生命の危機感です。

 

親なのに子供の事全然理解していなかった

親なのに進学や環境など十分に用意してあげられない

親の期待に応えられない

つい思いやりのない事をいってしまう

 

「親だから当たり前の行い」

「子供だから当たり前の行い」

 

正論は罪悪感の大好物です。

道徳の教科書(今でもありますか?)なんて罪悪感の愛読書ですから。

 

「○○しなくちゃいけない」という思いは、親を子供を縛ります。

それに背く時、罪悪感がひたひたと忍び寄って侵食してくる。

 

 

確かに他者との関係性でも罪悪感は登場します。

 

ただ、親子関係の罪悪感は強く重く絡み合うものです。

 

 誰しも、理想の親子関係のイメージというものがあるから。

でも、一人ではイメージ出来ても、

「親の型」に疑問を持ち始めた子供には

踏みつけられる事が多いものです。

 

 

また、「守る」「守られたい」という本能的な関係から、

一卵性親子のようになってしまう事が多くみられます。

 

同じものを感じたい、経験したい、

共有したいと親子が同一化すること。

 

そうなると、親と子の境界線は歪み、

子供に依存したり、過干渉になったりします。

 

過去ログでもシェアしていますが・・・

 

yasura7165.hatenablog.com

 

 

これらは、極端なケースではありません。

日常的に潜んでいる出来事だったりします。

 

 

「この問題はその人のもの」と

当人の問題解決力を信じる力が肝心という事はもちろんです。

 

ただ、親と子の関係で「その意識」を持ち続けるのは

難しいかもしれません。

 

本能レベルで「離れられない関係」だから。

 

次回は最終回、

子供視点からの具体的な解決策をシェアいたします。

 

 

それでは、また明日(^^)/