こんにちは、晏藤滉子です。
連続投稿957回目の本日のブログとなりました。
今日、スーパーへ食材の買い出しに出かけました。
この時期の食品売り場は面白いことになっていますね。
クリスマスとお正月がダブルブッキングしているかのよう。
クリスマスのイベントコーナーから、数メートル先にはお正月のコーナー・・・
クリスマスが終わるまでのカオスな風景です。
25日過ぎたら、お正月に全集中なのでしょうが・・・売り場の方はもう大変に違いない。
毎年の恒例行事ともいえますが・・・日本人はホント商売上手です(^^)
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最近、何気に耳にした言葉が気になっています。
「隣の芝生は青いというけれど・・・」
人と自分の幸せを比べない。
人の持ち物は美化されて見えるものだ。
というような意味合い。古くからある言葉です。
私の個人的な考えですが、
人と自分の幸せを比べないという捉え方は大賛成です。
だって、幸福感の信念や価値観は人それぞれで、「私は〇〇だと幸せ」なんて看板を普段背負っている訳でもない。だから人が羨むような状況であっても、本人は不幸を感じているというケースだって多いと思うのです。
自分が幸せ!と感じるならば、
嬉しい!と感じるならば、そこが自分にとっての楽園です。
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「隣の芝生が青く見えてしまう」・・・これは至極当たり前のこと。否定するつもりは全くありません。逆に「どうぞ♪」とオススメしたいくらい。
だって、羨ましいんでしょう。
きっとその感情は本心からくるものだと思うのです。
ちょっと横道に逸れますが・・・
人間って、交換条件の付く望みは迷路に嵌りやすいものです。何故なら自分の本音ではないからです。
モテたいから痩せるとか、人に尽くすと愛されるとか・・・条件が満たされなければ成立しない望みは途中で挫折しがちです。つまり潜在領域で望んでいないことだから、途中で人の思惑や条件が変わってくると「不本意な望み」は殆どとん挫してしまうものです。
綺麗に痩せている私がいい! 好きな人から大切にされる私がいい!
実はそれだけで充分です。
横道から戻りますね(^^)
「隣の芝生が青く見える」・・・そこには貴方の「欲しいもの」がある筈です。
物かもしれないし、安心などの感覚かもしれない。どうにもそれが貴方を魅了するのです。
芝生は青々と美しく・・・私を手招きしています。
「いいでしょう♪」「こっちにおいで♪」と誘われる。
隣の芝生に関心を持つ事自体、潜在領域からのサインです。
本当に欲しいものはコレなんじゃない?というサインです。
人間はそのような素地がないものに憧れたり、イメージしたりすることはあり得ません。例えば「働こう!」と思った時、自分が働いているイメージがある筈です。そこでは想像できない職種というものがあると思うのです。好き嫌いではなく、何故かイメージも湧かない職種というものが。素地というものは、誰でも同じではありません。幼少からの記憶かもしれないし親からの刷り込みかもしれない。
でも確実なのは、羨ましいと思う対象は、本音で望んでいる可能性が高いということ。自分の素地にその要素があるということです。だから、私にとって隣の芝生は青くても、他の人からみたら「フツーの庭」にしか見えないこともあり得ます。
「隣の芝生が青く見える」・・・その時は自分の本心を探るタイミングです。
表面上の条件なんて後付けに過ぎません。その下にはもっと深い望みが仕込まれているものです。だからそれを探ることが何よりも大切です。羨ましいだけで終わったら勿体ない。
芝生が青くて綺麗ならば・・・(あくまでも想像で)その芝生に寝転び、その気持ち良さを堪能するくらいが調度よいのかもしれません。
「私は一体何が欲しいのかな?」
本当に欲しいものは、貴方が気づくことでしか表に出ないものです(^^)
今日も読んで下さってありがとうございます。 ご参考までに♪