星読み・数読み・ジブン読み

晏藤滉子(アンドウ ヒロコ)です。心理学をベースに、西洋占星術と潜在数秘術で「意識の錬金術」を

隣の芝生で寝転んでみれば?

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こんにちは、晏藤滉子です。

連続投稿957回目の本日のブログとなりました。

 

今日、スーパーへ食材の買い出しに出かけました。

この時期の食品売り場は面白いことになっていますね。

 

クリスマスとお正月がダブルブッキングしているかのよう。

クリスマスのイベントコーナーから、数メートル先にはお正月のコーナー・・・

 

クリスマスが終わるまでのカオスな風景です。

25日過ぎたら、お正月に全集中なのでしょうが・・・売り場の方はもう大変に違いない。

毎年の恒例行事ともいえますが・・・日本人はホント商売上手です(^^)

 

***

 

最近、何気に耳にした言葉が気になっています。

 

「隣の芝生は青いというけれど・・・」

人と自分の幸せを比べない。

人の持ち物は美化されて見えるものだ。

というような意味合い。古くからある言葉です。

 

私の個人的な考えですが、

人と自分の幸せを比べないという捉え方は大賛成です。

 

だって、幸福感の信念や価値観は人それぞれで、「私は〇〇だと幸せ」なんて看板を普段背負っている訳でもない。だから人が羨むような状況であっても、本人は不幸を感じているというケースだって多いと思うのです。

 

自分が幸せ!と感じるならば、

嬉しい!と感じるならば、そこが自分にとっての楽園です。

 

***

 

「隣の芝生が青く見えてしまう」・・・これは至極当たり前のこと。否定するつもりは全くありません。逆に「どうぞ♪」とオススメしたいくらい。

 

だって、羨ましいんでしょう。

きっとその感情は本心からくるものだと思うのです。

 

ちょっと横道に逸れますが・・・

人間って、交換条件の付く望みは迷路に嵌りやすいものです。何故なら自分の本音ではないからです。

 

モテたいから痩せるとか、人に尽くすと愛されるとか・・・条件が満たされなければ成立しない望みは途中で挫折しがちです。つまり潜在領域で望んでいないことだから、途中で人の思惑や条件が変わってくると「不本意な望み」は殆どとん挫してしまうものです。

 

綺麗に痩せている私がいい! 好きな人から大切にされる私がいい! 

実はそれだけで充分です。

 

横道から戻りますね(^^)

 

「隣の芝生が青く見える」・・・そこには貴方の「欲しいもの」がある筈です。

物かもしれないし、安心などの感覚かもしれない。どうにもそれが貴方を魅了するのです。

 

芝生は青々と美しく・・・私を手招きしています。

「いいでしょう♪」「こっちにおいで♪」と誘われる。

 

隣の芝生に関心を持つ事自体、潜在領域からのサインです。

本当に欲しいものはコレなんじゃない?というサインです。

 

人間はそのような素地がないものに憧れたり、イメージしたりすることはあり得ません。例えば「働こう!」と思った時、自分が働いているイメージがある筈です。そこでは想像できない職種というものがあると思うのです。好き嫌いではなく、何故かイメージも湧かない職種というものが。素地というものは、誰でも同じではありません。幼少からの記憶かもしれないし親からの刷り込みかもしれない。

 

でも確実なのは、羨ましいと思う対象は、本音で望んでいる可能性が高いということ。自分の素地にその要素があるということです。だから、私にとって隣の芝生は青くても、他の人からみたら「フツーの庭」にしか見えないこともあり得ます。

 

「隣の芝生が青く見える」・・・その時は自分の本心を探るタイミングです。

表面上の条件なんて後付けに過ぎません。その下にはもっと深い望みが仕込まれているものです。だからそれを探ることが何よりも大切です。羨ましいだけで終わったら勿体ない。

 

芝生が青くて綺麗ならば・・・(あくまでも想像で)その芝生に寝転び、その気持ち良さを堪能するくらいが調度よいのかもしれません。

 

「私は一体何が欲しいのかな?」

本当に欲しいものは、貴方が気づくことでしか表に出ないものです(^^)

 

 

今日も読んで下さってありがとうございます。 ご参考までに♪