星読み・数読み・ジブン読み

晏藤滉子(アンドウ ヒロコ)です。心理学をベースに、西洋占星術と潜在数秘術で「意識の錬金術」を

「きのう何食べた?」観てきました。

 

こんにちは、晏藤滉子です。

本日で連続投稿925日目のブログとなりました。

 

今日は私の独り言ですので悪しからず(^^)

 

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先日、久しぶりに映画観てきました。2年ぶりくらいかな。

きのう何食べた?」劇場版・・・この作品は、漫画→TVドラマ→映画化の王道パターンです。

 

同性愛カップルを軸としたほのぼの系のストーリーです。マイノリティならではの葛藤など重たいテーマではあるけれど、世界観はとてもふんわりしたもの・・・ドラマは毎回観ていました(^^) 劇場版でも‟大事件”は起こりません。だから、何で映画にするの?と思う人もいるかもしれませんね。あの淡々とした雰囲気で2時間引っ張れるのか?と私も実は感じていました。

 

それでも、観て良かったです。

あの穏やかな世界観だけで充分楽しめました。

 

(以降ネタバレ含みます)

 

印象的だったのは、主人公の両親の在り方でした。一人息子が同性愛ということを理解しながらも受け入れられない・・・大抵ならば、言語道断で人格否定にまで繋がり兼ねないと思うのです。年老いた親世代ではごくごく普通の反応。でも、ご両親は受け入れられる部分と出来ない部分を冷静に息子に伝えました。

 

親子の話し合いでは、それはとても珍しいことかもしれません。

 

親は子供を「自分の子」としか観られない、子供はひとりの人間として認めてもらいたい。そこで言い争いが起こると時には決裂してしまう。この映画に限らず年老いた親との衝突はよくあることだと思うのです。親も譲らず子も譲れない、引くに引けない状況になってしまう。

 

この映画でも、息子は自分達の生活を大切にするために、親との境界線を仕切り直す決断をします。分断ではありません。新たな境界線を創っただけ。親の生活と自分の生活を共存させるような新たな境界線です。それが可能だったのは、人格否定の言葉を両者が発しなかったからだと思うのです。

 

人格否定の言葉が入りこむだけで、話し合いは修羅場になりがちです。現実に起こったことを突かれるより、人格否定は怒りの導火線に容易に火を点けます。重いテーマに対してふんわりした世界観が広がっていたのは、登場人物が皆押さえつけたり否定しない良い人揃いだったからでしょう。現実離れ・・・物語だからといえばそうでしょうが、観ていて和んでいるのも事実です。

 

そして、ドラマでも劇場版でも観終わった後には料理を丁寧に作りたくなってしまう。きっと観ている間に刷り込まれているのでしょうね(^^)

 

「凄い出来事のない映画」ですが安心して観ていられる・・・とても余韻の良い作品と感じた次第です。

 

 

今日も読んで下さってありがとうございます。 それではまた♪