こんにちは、晏藤滉子です。
今日は、ゴメンナサイ。
言語化が難しくて意味不明な文章になるかもしれません。
勢いで書きますので悪しからずm(__)m
今回は私の内的深堀りですが、もしかしたら「皆少なからず感じていること」かもと思った次第。それをシェアいたしますね。
「私は〇〇」と「□□な部分を持っている私」
私の場合、「私は弱い」と「強い部分を持っている私」がそこに当てはまる。
別に表と裏の顔ではなく、どちらも共存しているのだ。
正直、私は弱い人間だ。
周囲の空気を読み過ぎて疲れ自爆してしまったり。言い争いは滅法下手で最後
には身を引いてしまいがちだ。つい現実逃避してしまうことも多いし、ヘタレ
なのだ・・・弱い人間だと思う。それはそれで自己否定の材料ではなく認めてい
る。
一方、「私は強い部分を持っている」ことも自覚している。
とてつもなく「強い」のだ。決して計算されたスマートな強さではない。
恐らく本能的な強さだろう。大事な存在を守る為には鬼にでも悪魔にでもなる
ような。決して短気とか熱い思いからとも違う。蠍座的な強さともいえるだろ
う。
私自身の中でこの存在を目の当たりにしたのは数回に過ぎない。
でも、私の大きな転換期には必ず登場している「強い私」。
だいたい同じようなパターンなのだ。
「強い私」が露になった時、同時に「弱い私」がそれを震えて観ている図。
例えると、「弱い私」が傷ついてボロボロになって絶対ピンチになった時、
“恋人を守ろうと多勢にひとりで向かっていく彼氏” のように。
「俺の女に何するんだーー!!」と無謀に掴みかかっていく。
「弱い私」は物陰から震えながらそれを観ている。
「強い私」は「弱い私」を守る為なら何でもするようだ。
でも、喧嘩は弱い。結局フルボッコになる故、「強い私」は封印される羽目に。
貴方は表に出て来るとロクなことはない。心の奥底に幽閉されるのだ。
「封印された自分」を愛する時
男女の関係性で例えたけれど、
最近よく聞く「男性性と女性性」の話とはちょっと違う。
誰でも、表に出せない「□□な私」をもっている。
表に出る事を許されず幽閉されたということは、何かをやらかした筈だ。
幽閉されるにはそれなりの理由があるのだから。
私の場合、「弱い私」を守ろうと立ち向かった為に、身近な人間関係の断捨離が自然発生した。だから人生の転換期といわれる所以だ。登場する度にまた幽閉されるの繰り返し。ある意味、疫病神的存在と思っていたものだ。
ただ間近の登場回において想定外の事が起った。
それは、「弱い私」が涙を流して「強い私」に感謝している。
「私を守ってくれるのは貴方だけ!」
喧嘩に敗れた「強い私」を抱きしめている。
「弱い私」は「強い私」を認め、愛し始めたのかもしれない。
「封印された自分」は鍵を持っている
誰でも、「□□な私」の存在があるだろう。
それを露にしたために不具合をおこし幽閉される。
でも、「□□な私」は計り知れない潜在的なパワーを持っている。
「弱い私」が顕在的な個性ならば、「強い私」は潜在的な力を秘めている。
「□□な私」を受け入れ愛してあげる。
世の中にバーンとお披露目出来るように大事に育む。
幽閉ではなく雰囲気の良い別荘に引っ越しさせよう。
美味しいものを食べ、美しいと感じるものを共有しよう。
お互いだけが分かるユーモアでクスっと笑おう
洗練された「□□な私」は完璧な存在に変容する。
私にとって唯一無二の存在になるはずだ。
「本当の自分の世界」に繋がる扉の鍵を持っているのだから。
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当ブログでは「本当の自分」で生きることをテーマに挙げています。
視点を変えると、封印されている「自分」はダイヤの原石かもしれない。
「本当の自分らしい生き方」には必要不可欠な存在かもしれない。
いきなり世の中に出す事は出来なくても、存在を認めることはできる筈。
貴方の「今までの世界」を変えてきたような存在ならば、磨く価値はある筈。
その存在を慈しむことは大切なことだと思うのです。
今の私の内的世界において、
「弱い私」は「強い私」を全面的に信頼しています。
いざという時、私をサポートしてくれる頼もしい人。
シャイだけどとても優しい人・・・。
「□□な私」の存在は、心の中の絶対彼氏(彼女)なのかもしれませんね。
今日も読んで下さってありがとうございます。 それではまた(^^)/