星読み・数読み・ジブン読み

晏藤滉子(アンドウ ヒロコ)です。心理学をベースに、西洋占星術と潜在数秘術で「意識の錬金術」を

本当の自分で生きることの矛盾

 

こんにちは、晏藤滉子です。

 

今日は、自分自身の意識の忘備録。

なかなか言語化が難しく、抽象的になる予感をヒシヒシ感じます。

その点は悪しからず。感覚的に目を通していただけたら何よりです。

 

 

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それは「本当の自分で生きる」というテーマ。

このブログのメインテーマでもあります。

 

それは揺らぎません(^^)

 

でも・・・「本当の自分で生きる」は何だろうとモヤモヤしていました。

正体見えそうで見えない気持ち悪さ。

 

それは、「本当の自分で生きる」という事は、

“何者かになる”ことを自分自身に単に強いているのではないだろうか・・・という矛盾。

 

“本当の自分であろう姿”は果たして真実なのか。もしかしたらそれすらもエゴが創ったそれらしい姿なのかもしれない。

 

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生きていることがキツイ時って「誰かの求める理想像(何者か)になること」を強いられる時だったりします。

 

幼少期は親の求める何者か

学校では、集団生活が求める何者か

仕事では、上司が求める何者か

 

生きていると、強いられるものですよね。

でも、自分の気持ちの入っていない「何者か」なんて簡単になれるものではありません。

 

永遠にそれを周囲から求められたら・・・いつかは心が折れてしまう。

 

そんな「心の呟き」を拾った人は、「本当の自分で生きること」に目覚めてきました。ごく自然な流れですよね。

 

でも、「本当の自分で生きること」を自分に強いた場合、

周囲が自分にしていることと同じことをしているのではないか。

 

自分の理想像を「本当の自分」に仕立てた場合、

ハートは自分によって苦しめられるのではないのだろうか。

 

頭の中でイメージ出来る「本当の自分」は所詮今までの思考の枠の中での創造物。「本当の自分」はもっと深くて、自然で、しなやかなものかもしれない。

 

そして目指すものではなく「在ること」かもしれない。



気の強い自分も、弱い自分も

迷っている自分も、良からぬことを考えてる自分も

ジャッジせずに「本当の自分で在りながら生きること」。

 

最終目標の理想像ではなく、揺らぎながら自分らしい心地よいポイントで在ること。

 

それが、今までの「本当の自分で生きること」の本意なのではないのかと

ふと閃いたのが今の時点です。

 

うーん、言語化ムズカシイ(-"-)。抽象的でお許しを。

これからも深堀する余地ありそうなのが嬉しい発見だったりします。。



今日も読んで下さってありがとうございます。  それでは、また(^^)/