こんにちは、晏藤滉子です。
本日で連続投稿2258回目のブログとなりました(^^♪
「頑張る」って言葉、日常的に耳にすること多いし私自身も良く使います。
深い意味を込めるというより社交辞令みたいなところもあったりする・・・
「頑張るね♪」「頑張ってね!」みたいな軽いノリです。
よく頑張ってる人に「頑張って!」って言うもんじゃない・・・という人もいるけれど、
それを気に病むならばそれは‟言われている人”の抱えている問題なのかもしれません。決して悪いという意味でなくてね。どんな言葉でも感情的な反応が起こったならば、‟反応している人”が何らかの火種を持っていて、そこに着火してしまったということです。
「頑張ります!」と周囲に決意表明をする時、
真面目な人ほど本当に頑張ってしまうものです。そこで頑張ることは当人にとっても素晴らしい経験だけれど・・・一つだけ気をつけたいことが。
頑張る姿を見せたら認められるだろう・・・という期待を込めた宣言ならば、その頑張りは苦しくて自らを縛るものになる。自己承認欲求からの頑張りになってしまうものです。上手くいかなければ「自分の努力は報われない」という無力感と、他人に応えるパフォーマンスの失敗になってしまう。重圧が伴なう「頑張り」は辛くて苦しいものです。
何が言いたいのかというと・・・
自分へのコミットレベルの「頑張り」ならば宣言する必要はないし、
本人にとっても頑張りの内に入らないということ。
頑張りの純度が高いといえるでしょう。
ただやりたいからやるだけのこと。
其処は夢中の世界線で楽しみや充実感が伴なうものです。
もしもプレッシャーを感じ窮屈ならば・・・
頑張りの純度が低くなっているのかもしれませんね。
今日も読んでいただいてありがとうございます。 それではまた(^^)/
日々の星読み活動のメニューはこちらから