こんにちは。
今日は「喜びを見出すこと」について個人的な想いをシェア。
ほぼ独りごとです(^^)
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どんなことに喜びを見出すのか。
それは人それぞれです。
自己完結で喜びを内側に見いだす人もいれば、
他者との交流の中で見出すパターンもあり。
ただ、ここで思うのですが
特定の環境が絶対条件の場合、それは揺らぐことが多いということ。
此処へ行かなくては楽しくない
この人と共にいなくては感じられない
〇〇しなくては、でなくては・・・それに縛られることに繋がります。
つまり、自分の喜びという根本的な感情表現を環境や人に
委ねてしまうこと。
それはそれで良い時もあるのですが、
それを失うことを恐れて行動することだってあり得ます。
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“強い人”と云われる人がいます。
私の定義としては
決して強靭さとか、気性が強いという訳ではなく
どんな環境下でも、小さなユーモアや喜びを見出す人。
この喜びを見出す能力が高い人が“強い人”なのではと個人的に思うのです。
例え周囲から疎まれても、
仕事が上手くいかなくても
今日は最悪な一日だったとしても
何気ない日常の中で、一見意味がないような出来事に喜びを見いだせること。
これが、日々継続して出来る人はやっぱり“強い”と思うのです。
「美意識」を素に生きていることだから。
美意識というものは「生きていく上での柱」です。
拘りとも云えるでしょう。
勿論そのこだわりは人によって違います。
自分にとっての美意識が、人によっては何の意味もないこともある。
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最近感じることですが、
世の中の自粛ムードの中、つい喜びを感じる事さえも自粛してしまう
傾向があるようです。
でも、日々の生活から喜びを見出す事に自粛なんてしなくてよいのです。
出来る範囲の中で、生きることを楽しめばよい。
喜ぶことを創造すること、ユーモアを交えつつ
柔軟に、しなやかに・・・
それが人間の特権。というか私にとっての美意識かもしれません。
どんな場合でも忘れたくないものです。
余談ですが・・・これから先の時代性として「同じ美意識」を持つもの同士の
繋がりは強くなる傾向になると思います。
環境や年齢ではなく「美意識」で繋がる世界は
個人的に面白そうな予感します(^^)
今日も読んで下さってありがとう♪ それではまた(^^)/