星読み・数読み・ジブン読み

晏藤滉子(アンドウ ヒロコ)です。心理学をベースに、西洋占星術と潜在数秘術で「意識の錬金術」を

テレビを無闇に見なくなった理由

 

 

こんにちは。今日はひとり言です(^^)

 

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最近気づいた事ですが、

「テレビを無闇に観なくなった」ということ。

 

観たい番組は予約して観るし

スポーツの注目している試合はリアルタイムで観るし。

朝、時計代わりに「ながら視聴」するくらい

 

深い意味はないけれど、

「情報のシャワーは無闇に浴びたくない。音に疲れる。」が

一番の理由かも。

 

要は、「自分の身体に入る情報は選びたい」ということ。

 

食べ物や着るものを選ぶ感覚と似ているかもしれない。

 

その基準は人それぞれだけれど

動物や子供の虐待

暴力や性的な事件

恐怖を煽る情報やCM

情報管理を感じさせるもの・・・等々は正直息苦しくなってしまう。

 

そうは言っても、

起こった出来事を受け止めるべきだという考え方もあるだろう。

 

でも、テレビを付けた瞬間苦手な情報も、得たい情報も

一気に溢れるように流入してくることは到底受け止めきれない。

 

苦手な情報を昇華させる余裕などなく

鬱々とした感覚だけ澱のように心の奥底に沈んでしまう。

 

そのまま、自然と熟成してしまうモノなら

情報ドントコイだけれど・・・

私自身そういうシステムは持ち合わせていないようだ。

 

だから、私は自分の触れる情報は選択していこうと思う。

 

そうなると、偏った情報のみ受け取る事になる。

と言われそうだが、そこのところは不具合は感じられない。

 

私の場合、何かに妄信するという傾向があまりないから。

妄信する前に「情報に飽き」がくるし、

そうなったら新しい情報を入れたくなるタイプ。

 

だからかもしれないけれど、

今の「無闇にテレビを観ない生活」は何気に心地よい。

 

自分のペースで情報の取捨選択できることは

「決定権は自分」ということ。

 

全ての人にとって当てはまらなくても良いのだ。

押し付けるつもりもないし、これが正しい方法と言うつもりもない。

 

ただ、そんな「自己中心生活」は私の性に合っているのだと思う。



今日は独り言に付き合ってくださってありがとう。それではまた(^^)/