星読み・数読み・ジブン読み

晏藤滉子(アンドウ ヒロコ)です。心理学をベースに、西洋占星術と潜在数秘術で「意識の錬金術」を

自分を嫌いになんてならないで

 

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こんにちは、晏藤滉子です。

 

今日は「自分の居場所」について共有いたしましょう。

 

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「仕事場で馴染めず頑張ってきたけれど段々自分が嫌いになってきました」

春になると、このようなテーマの相談内容が多くなります。

 

年齢や環境は其々ですが、まとめると・・・、

新しい環境で、そこに馴染もうと頑張っているけれどうまくいかない。

頑張ってる自分も、取り繕ってる自分も、空回りしている自分も嫌いになる。

 

本当の自分をさらけ出すことに慣れている人は「?」かもしれません。

でも、多くの人たちはつい取り繕ってしまうものです。

これはプライドとか見栄ともちょっと違う。周囲の期待を想像しすぎてそれに応えようとしてしまう。空気読みすぎともいえるでしょう。

 

単なる妄想で、誰もそんなこと思ってはいないかもしれません。

でも、妄想の中で頑張って、それが上手くいかないと(他者評価を得るための努力は上手くいかないもの)、今度は自分自身に刃が向かうものです。

 

だから、だんだん自分が嫌いになってしまう。

自分なんてちっぽけな存在だと思ってしまう。

 

周囲の気持ちを想像するくらいならば、やり過ごす事は容易いものです。でも、仕事のトラブルとか、言い争いとか目に見える形になると「やっぱり・・・ダメ」となってしまう。

 

***

 

自分が嫌いになる・・・それくらいの思いを抱くのなら、

これまでも充分努力して頑張ってきたことでしょう。

緊張で委縮して思うように結果が出せないこともあるでしょう。

 

でも、残念ながら貴方以外の人を変えることは出来ません。

それに、自分を嫌いになる程の努力を、人の顔色の為にするものではない。

 

「自分を嫌いになる」これは、自分が自分にする最大の虐めです。

そこまでの想いになってしまうのならば・・・引っ越しの準備です。

 

自分を蔑ろにする環境ならば、それは貴方が生きる場所ではない。

「ここは私の居るべき場所ではない」と腹を括ることです。

 

海の魚は川では生きられない

南国の動物は、北国では生きられない

 

そういう努力や根性では解決できない「いるべき場所」はある筈です。

 

***

 

人間は、「自分がいるべき場所」を見つけることは簡単ではありません。

努力すれば成長もするし、適応能力もあるから見極めが非常に難しい。

昔ながらの「我慢が足りない」「根性」など押し付けられたら、真面目な人ほど何も言えなくなってしまうものです。

 

「自分が嫌いになる」・・・この想いは、ある意味限度を超えたサインです。

 

例え今すぐ離れることは出来なくても、

「私はここでしか生きられない人間」から「私は他でもちゃんと生きていける人間」と

意識を変えるだけで、程よい距離感を置くこともできるかもしれません。

 

その意識の変換には、「自分が好き」が必須です。

自分を大切にすれば他の場所でもちゃんと生きられるし、

同じような人が集まってくるものです。

 

「自分の居場所」は自分で決めることです。

自分がノビノビと笑っている場所、自分を好きでいられる場所・・・

幸せでいられる安全地帯は、誰にでも絶対あるものだと思うのです。



今日も読んで下さってありがとうございます。  ご参考までに(^^)/






自分に風穴を開けてみる

 

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こんにちは、晏藤滉子です。

 

この一年、外出を控えたりしている方は多いと思います。

私もその一人です。

 

先日も友人と話していたら、

「そういえば暫く電車乗ってないな」とか「街へ行くのが億劫になって」・・・という話題になりました。私自身もお家大好きタイプだし、食料さえあれば自粛生活もそう苦にはならないものです。

 

でも、私がここで気になったのは「億劫になった」というフレーズです。

 

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今までの状況では、自粛や公共のマナーは必要なことと理解しています。

その上で自覚しておくことは、その結果「思考停止になっている」ということ。

 

「億劫になっている」は思考停止の証と感じたのです。

 

私自身、外出時や人と会う時などマスクをしています。でもそれは正直息苦しくて負担になる。その窮屈さを考えたら自宅で過ごす方が遥かにラクなのです。ついでにメイクとか洋服とかも構わなくなる傾向に(-"-) 自然と刺激は減り「思考停止の沼」に嵌っていくのでしょう。

 

自宅は大抵「自分を守る、自分の基盤となる」…自分にとっての城です。

外へ出ていく為の心の砦にもなる。でも自粛生活は城に籠城していたようなものです。

外へ出ていくのが危険だったから・・・身を守るには必要なことでした。

 

それが半年一年となると、それが次第に当たり前となってしまうもの。人間は慣れる生き物でもありますから。

 

でもその状態で「自分の未来」をイメージすることは難しい。

 

そもそも自宅は「リアルな願望」が詰まった箱です。

駅から近いとか、間取りはこうで、買い物や通勤が便利で・・・リアルな生活に則しているものです。願望はあっても創造するものではありません。

 

そこに閉じこもっていたら、次第に創造性とは離れていくことになるものです。

 

自粛生活以前は、創造性を刺激し発揮するために人は行動していました。

人と会ったり、観劇したり、旅行にいったり・・・創造性を刺激する自分なりの方法を

とっていました。でもそれが難しくなり次第に意識は縮小してしまう。

 

「億劫になっている」という状態は、「今」を楽しめないことにも繋がります。

 

そこで大切なことは、堅くなって重くなった自分自身に風穴を開けることです。

自分の感覚を創造性を刺激していくこと。

 

それは今の状況でも可能な「非現実」を自ら創ることです。

 

これは友人と、家族とではなく「ひとり」ですること。

自分のペースで感じ、想い、イメージする事ができるから。

 

近場の海にいく

自然の中を散歩する

今まで行けなかったカフェに行ってみる

景色のよい道をドライブする

早朝の神社へいく



遠くへいかなくても、普段と違う行動を「ひとり」でとってみることです。

 

自宅というリアルな箱は、安全で安心で私を守ってくれるものです。

でもそこに閉じこもっていたら、自分の内側では循環は滞ってしまいます。

 

自分に風穴を開けること・・・この時期とても大切なことだと思うのです。



今日も読んでくださってありがとうございます。  ご参考までに(^^)/