こんにちは、晏藤滉子です。
今日は、私の忘備録ですがサクッとシェアいたしましょう。
このテーマは私を含め必要な方が多いような気がします。
それは「中庸でいること」。
実は去年の暮れから頻繁に登場していたキーワードでした。
それぞれの表現は勿論違います(^^) でも、意図は同じと感じました。
同じキーワードが3つ続いたらシンクロニシティ(意味のある偶然)
「これは私の2020年のテーマに違いない」
私は勝手に解釈した次第です。
余談ですが、これは結構使えるジンクスです。
自分にしか分からない事なのですが、意識してアンテナを立てていると
色んなルートから同じテーマやキーワードが連続で飛び込んでくる事って
意外とあるものです。
つまり、潜在意識からのスポットライトが当たっている部分ですよね。
それでは「中庸でいること」シェアしますね(^^)
分けられるものは同時になくてはならない
分けられるもの・・・陰と陽、正と誤、男性性と女性性、善と悪、清と濁
いろいろ、二つに分けられるものはあります。
そして、人間はその二つの中で揺れ続ける。
人間は、どちらかに偏ろうと揺らぎ続ける「性」を持っているようです。
同時に、傾倒した反対側は見ないよう感じないよう心を閉じる。
また、傾倒する対象すらもゆらぎ続けるものです。
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そもそも分けられるものは「二つあって丁度良い」のです。
二つに分けられ、配分も同じだけ。
そこに自分の価値観で優劣をつけ、揺れ動くのは「人間としての証」です。
「だって、人間なんだもの」そのまんま。
揺れ動くこと自体、魂を鍛える為ともいえます。
人間の醍醐味かもしれません。草花や動物ではあり得ませんから。
揺らされている私達は、一体何を目指しているのでしょう。
それは、右へ行ってもよい、左へ行ってもよい
でも、揺らされて翻弄されるのではなく
あえて中庸でいること。
中庸とは、俯瞰して人生を観る立ち位置なのかもしれません。
清濁を併せのむ生き方ともいえるでしょう。
自分の考えに固執するのではなく、
相手の考えを受け入れる器の大きい生き方。
二つの間の丁度良いポイントに立つこと。
「中庸であること」
固まる訳でも流れる訳でもなく、揺らぎながらもくつろいでいく。
深い言葉と受け取りました。
今日も読んで下さってありがとう(^^) ご参考までに♪