星読み・数読み・ジブン読み

晏藤滉子(アンドウ ヒロコ)です。心理学をベースに、西洋占星術と潜在数秘術で「意識の錬金術」を

あきらめポイントか?チャレンジポイントか?

誰にでも苦手なこと嫌いなことってありますよね。

 

人の輪の中に入ること

几帳面に計画立てること

自分をアピールすること

リーダシップをとること  等々。

 

占星術なら土星の位置やハードアスペクトの有無とか、

数秘術ならライフレッスンの数字とかにその傾向がみられます。

 

でもね、星の位置や数の意味がその傾向をあらわしても

どう捉えるのかは「自分次第」。

 

それと年齢と共にそれは変化していきますよね。

子供の頃は大嫌いだった食べ物が大人になったら大好きになるような。

それも、成長に伴った自分次第。

 

セッションの時よくお話をさせていただくのですが・・・。

 

あきらめポイントとして解釈するならば・・・ 

いっそのこと「それが得意な人」にやってもらえばよいのでは?。

マル投げでもOK。

あなたは自分の得意なことで貢献すれば大丈夫。

 

 

チャレンジポイントとして解釈するならば・・・

 苦手でコンプレックス感じたりすることって、案外貴方にとって「一番大切なチャームポイント」が隠されているかも。

自分で影と捉えていたことが他者からみたら強い魅力にうつるとか。

他者目線になって開き直ることも必要。

また、試行錯誤して自分を成長させるその先が貴方にとって大切な何かあるのかも。

 

 

あきらめポイントは行動のパターンや能力の場合が多く、

チャレンジポイントは内面的な「その人の思い込み・前提」の場合が多い傾向がみられます。

 

 

じゃあ、私の苦手なことってどっちなんだろ?

 

 

とてもざっくりとした見分け方は・・・

 

あきらめポイントならば、 

あきらめた事を他者を信頼し頼むことによってプラスの循環が起きる時。

何でも一人で背負わず適材適所で能力を各自発揮していくような流れが起きるとき。

つまり、貴方があきらめる事によって他者が能力を発揮できるような場を得るとき。その分、貴方が自分の得意な分野に集中できる場合。

 

ただ、人に頼むこと自体苦手なひとがいるのも確かなので、そのハードル越える練習は必要かも。

 

 

チャレンジポイントならば、

 何回も同じパターンの現実を引き寄せる時。

それは、その苦手な事や感情と向き合うような現実。

 

思い込みや前提からのネガティブな感覚は内面のことが多いので、その現実は「人のせい」にしてしまいがち。

あくまでも「自分の捉え方」がネックです。

その場合、痛みはあっても「乗り越える価値」は絶対あると私は信じています。

痛みがあるほど、隠れていた「貴方の最高の魅力」は確かな自信と共に顕れるから。同時に繰り返された現実のパターンは消えていきます。

 

この蠍座木星期の一年間、避けてきたこと、痛みを感じてきたことと向き合う場合が多いかもしれませんね。

 

そして同じだけ「自分が心底喜びを感じること、大切なことって何?」と

光と影を深く掘り下げる経験をする方も多いのではないでしょうか。

 

それは「清濁併せ呑む」蠍座木星期ですから尚更ですね。

 

 

 

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経験をシェアするということ。

心理学を学び始めた頃、苦手なことがありました。

 

それは、ワーク・トレーニングをグループで行う時、

そこから得た体感、経験などをお互いにシェアするということ。

 

当時はこれが何より苦手で

まだ、言葉で表現することがぎこちなく

超人見知りなため「初対面の人」に自分の体験を語ることなんて・・・・

 

自分のことを話すこと自体に

「ジャッジを受けるはず」

「どうせ理解されっこない」という前提が私にはあったようです。

 

もともと感覚優位なので、心理的ワークの感覚を掴むのはあまり苦労はしなかったけれど、その後のシェアは苦手というか好きではない。

 

 

でもね、ある時気付いたんです。

 

 

「シェア=発表・分かち合う」というイメージをどこかでもっていた頃

自己開示は苦手なことでした。目の前の人が審査員に見えていたから。

 

けれど、経験って誰ひとつとして同じことなんてなく

似たような経験はあっても同じことは経験出来ません。

 

もしも「その人の経験=神様・宇宙からのギフト」としたならば・・・

 

神様とか宇宙とか怪しい響かもしれないけれど

人生の流れを司る大きな何かからのギフトのイメージ。

 

人間は分かち合うことから意識の拡大がおこります。

独り占めしよう。出さないでおこうと思う時から意識の縮小が起こり

水は停滞し澱んでいきます。

 

だから

「シェアすること=自分が受け取ったギフト(経験)を次の人に託すこと」

 

ギフトには経験した本人の感情や想いがラッピングとして施されています。

そのギフトを他者に託すことによって経験を昇華させていきます。

シェアするという機会があるということは相互にとってベストなタイミングである筈です。

 

けれど「ジャッジされた」と感じる場面があるのなら

それは相手の「前提・思い込み」の問題です。

 

そのことからも、シェアを含めた自己開示というのは「安心安全な場所」でなくては傷つく危険性も確かにあります。

コアな繋がりで経験を安心してシェアできること・・・

そんな場を創りたいと考えています。