星読み・数読み・ジブン読み

晏藤滉子(アンドウ ヒロコ)です。心理学をベースに、西洋占星術と潜在数秘術で「意識の錬金術」を

「ありがとう」と「当りまえ」

 

こんにちは、晏藤滉子です。

 

最近、「ありがとう」の反対は「当りまえ」と知りました。

 

「ありがとう」は「有難し」という事で、

ある事自体が珍しい。当りまえではないこと。

 

そのことから「ありがとう」と対になるのは

「当りまえ」ということに。ナルホドですね(^^)

 

「ありがとう」は人間関係の特効薬

 

そもそも人間同士のコミュニケーションにおいて

「ありがとう」は万能薬のようなもの。

 

「ありがとう!」って本心で言われて嫌な気がする人は

いないでしょうね。

 

余談ですが、「ありがとう」を何回も繰り返すと良い事が起こると

ブームになったことがありましたね。

 

そのブーム自体の正誤に関わらず、言葉自体に言霊はあると

思います

 

「ありがとう」。 とても美しい日本の言葉ですから。

 

「当りまえ」は人間関係にすき間風を起こす

 

その「ありがとう」に対する「当りまえ」という言葉。

 

「当りまえ」は使い方で影響は正反対になるものです。

 

謙遜の意図ならば・・・

「当りまえのことですから気にしないで下さい」なんて人畜無害。

社交辞令です。

 

注意した方がよい「当たりまえ」は馴れ合いと傲慢さが付いてくる場合。

ここでは注意が必要な「当りまえ」を取り扱いますね。

 

************

 

人間関係のあるところ、「当りまえ」が横行するような状態では、

相互関係や本人の内側に、何らかの「歪み」の兆候が感じられるものです。

 

仲間のサポートは当りまえ、

良くしてもらうのは当りまえ、

別にいつものことだから当りまえ、

人間関係が長くなると「当りまえ」が多くなるものです。



仕事場でも、家庭であっても「当りまえ」が多くなると

「歪み」が関係性に浸潤してきます。

 

「当りまえ」と評価される度に、

善意の行動をした人の心に「?」が影を落とします。

 

最初は本人も気が付かないような微細な感覚かもしれません。

 

疲れて帰ってきても、家事をするのが当りまえ、

お茶を入れるのは当りまえ、駅まで迎えに行くのも当りまえ

 

そんなことが続いたら、友人や家族の間でもすき間風が吹くことだって

ありますよね。

 

それは「当りまえ」の言葉の中には

傲慢であったり、依存であったり、馴れ合いであったり

冷たくて重い気配を感じるから。

 

「私の存在って何なのだろう?」

自分への配慮や思いやりが感じられない。

特に女性はこのパターンにはシビアです。

 

そんな「当りまえ」が積み重ねった時

ちゃぶ台返し」が起こるのでしょうね。

いわゆる逆ギレというものです。



見返りを求めなくても「ありがとう」は必要不可欠

 

仲間や家族に何かしてあげたくなるのは人の常です。

 

別に見返りを求めている訳じゃないけれど・・・という声も

よく聞くけれど。 本音はいかがなものでしょう。

 

そのような方だって、傲慢や依存の塊のような人に「当りまえ」を

押し付けられ続けたら、心がささくれ立ってくるものです。

 

一言「ありがとう」と言われることで救われることだってある。

明日からの原動力にもなることだって。

 

思いやりの言葉を求める事。ある意味立派な見返りです。

 

そうは言っても見返りというと、

拒否反応のある人は多いものですよね。

 

でもね、見返りはある意味エネルギーの流れです。

何かを与えた、等しく何かを受け取ること。

 

それが一方通行になるのが続くほど、

エネルギー量のバランスが偏るほど

人間関係は歪むものです。枯渇してしまうから。

 

そうならないためにも

先ずは、貴方から「ありがとう」と言ってみる事が大切です。

貴方が先に言う事で、相手が不思議な違和感を感じたのなら

しめたもの。

 

どうしても、傲慢な「当りまえ」を突きつけてくる相手ならば

貴方がエネルギーをかけるに相応しくないお相手かもしれません。

 

そのような場合、距離をとって静観すること、

放っておくことも選択のひとつです。

 

やはり、「ありがとう」は即効性のある万能薬。

使わない手はないですね(^^)/

 

今日も読んで下さってありがとう♪ ご参考までに。