こんにちは、晏藤滉子です。
本日で連続投稿1418回目のブログとなりました(^^♪
何かに挑戦する時、目標に向かって懸命に努力する時・・・何らかの結果が示されます。殆どの場合は成功か失敗の二極化であり、当の本人にとっては・・・思った通りになったのか、思ったようにならなかったのか。
思った通りにならなかった=失敗、負けたと思うかもしれませんね。
頑張っただけに心が折れてしまうかもしれません。
でも思った通りにならなかったという結果は必ずしも失敗ではないということ。一般的に失敗に捉えられる事実も、一生を通してみれば必要な経験でしかない。というと無理ポジ(無理やりポジティブ)と思うかもしれませんが、それは違います。
例えば思ったように結果を出した人が必ずしも成功者ではない
思ったようにならなかった人が必ずしも敗者ではない
どちらを経験したとしても、それはその人にとって必要な気づきを得るための伏線でしかないということです。第一希望の学校が不合格でも、その人にとって取り合えず入学した学校での経験や人との出会いが人生にとって大きな気づきをもたらすのかもしれない・・・。相性の悪いパートナーとの生活はとても苦々しいものかもしれません。でもその人にとっては大切な気づきをもたらしてくれる環境なのです。
宇宙やどこぞの神様は・・・ある意味気づき至上主義です。
生きていくことで何を得たか、どんな名誉を掴んだかなんて関心を持っていないもの。人生の経験で何を気づき、魂を満たしていくのか・・・知りたいのは経験を通しての魂の成長でしかありません。
だから思ったようにならなかったとしても、そこから何かを気づきなさいというサインでしかない。私達は常に勝ち続けることも負け続けることもないけれど、置かれた環境で気づき続けることは可能です。
つまり思ったような環境でなくても、そこを天国にすることは出来るということですから。その逆も然りです。
人間は創造する生き物だと思うのです(^^)/
今日も読んで下さってありがとうごさいます。 それではまた♪