星読み・数読み・ジブン読み

晏藤滉子(アンドウ ヒロコ)です。心理学をベースに、西洋占星術と潜在数秘術で「意識の錬金術」を

無知の知の向こうへ行こう

      

 

こんにちは、晏藤滉子です。

本日で連続投稿1400回目のブログとなりました(^^♪

 

今日も一日良いお天気。本当は窓を開け放し春を満喫したいところですが花粉症真っ盛りの時期・・・大人しくしております"(-""-)" 今年は鼻うがいの恩恵なのか鼻の調子は先ず先ず良好。問題なのは目のかゆみ、流石に目薬に頼っている次第です。

 

春なのに・・・イマイチ春を楽しめないもどかしさを感じます。

もったいないですよね。せめて気分だけは上げていきましょう(*'▽')

 

 

さて今回は「無知の知」という言葉がテーマです。

私は「無知なことを自覚していること」と捉えていました。でも調べてみるともっと詳しい意味があるようです。

 

「無知なことを自覚していると表現することは、自分はなんでも知っていると見せかける人よりも人として優れている」

 

無知とは言葉を変えれば、気づいていない状況下にいること。自分は気づいていないということを受け入れる(自覚する)だけで、その枠を超えていけるだろう。対して自分の枠内だけで思考し判断するだけではいつまでたっても気づきは訪れないだろう。結果それは人間としての器の大きさに影響を与える。

 

ある意味知ったかぶりでマウントするのは下品だよというという裏解釈もある訳で・・・"(-""-)"

 

無知は決して恥ずかしい訳ではありません。人間は万能ではありませんから。冷や汗かいて痛い目を経てリアルに気づくことで、自分にとっての真理を見つけ出すもの。一見遠回りのような過程こそが人生の財産なのかもしれません。それはAIには出来ない遠回りの醍醐味だと思うのです。

 

そうは言っても、知らないことを自覚するだけではなく丸投げする人も少なからずいます。「分からない!」という一声で分かる人に任せてしまう。実は私もそのうちの一人でした。元々関心のないことには手を付けないタイプ、特に若い頃はその傾向が強かったように感じます。私がやらなくても誰かがちゃんとやってくれる・・・今から考えると𠮟り飛ばしたくなる過去の私。正直もったいないことをしたと痛切に感じています。

 

それを改めたのは20年以上前のこと・・・家にやってきたパソコンでした。

「わかんない!」で済ますにはパソコンの影響力は強すぎる。教室に通いネットで調べてみると、高いハードルが次第に低くなることに気づきました。そうなると俄然面白くなるものです。私は「知らないことを知る」という面白さを知ったのかもしれません。

 

それからは知らないことを詳しい人に投げる前に、それについて調べることに努めました。せめて知りたいことを言語化して、ちゃんと会話が通じるように。専門家に任せることは確かに安心かもしれないけれど、丸投げしてはその問題は自分の手から離れてしまうということを分かっているから。

 

せめて言語が理解できて使えるように。

無知の知の向こうには、新しいものを自分の世界に招き入れるチャンスも含んでいると思うのです。

 

食わず嫌いの無知も、食べたら案外美味しくて大好きになった。

関心がないことも、先ずは調べて知る事から・・・その先は自分の好奇心が教えてくれるのでしょうね。

 

 

今日も読んで下さってありがとうございます。 それではまた(^^)/