こんにちは、晏藤滉子です。
本日で連続投稿1361回目のブログとなりました。
「なりたい自分になる」
最近友人との会話の中で印象的な言葉を拾いました。現実と理想のギャップを感じ、現状に甘んじることなく上を目指そうとする意欲ある言葉。その友人も活き活きとそう語ってしました。
ただ・・・その言葉を聞いて個人的に違和感を感じていました。
ちょっと心がザワザワしてしまうような。
「なりたい自分」を目指すことは誰でも通る道だと思うのです。実は私もその内のひとり、努力や頑張りの先には必ず「キラキラした自分」が微笑んでいると思い込んでいた時期がありました。私自身が「なりたい」のだからきっと幸せが洩れなく付いてくるはず・・・みたいにね。
ただ正直いうと、「なりたい自分」を目指して頑張るほどに上手くいかない。キラキラどころか心が消耗して理想が色褪せてしまうパターンになりがちです。
これは「なりたい自分」というハニートラップに嵌った証。
「なりたい自分」って実は「頭で考えた理想の自分」、コアな自分とは程遠いことが殆どだから・・・結局上手くいかなくなってしまいがち。
こんな自分なら周囲から認められるだろう
こんな自分ならパートナーから大切にされるだろう
こんな自分なら毎日を豊かに楽しめるだろう
そんな顕在意識の「思考の声」の集大成が「なりたい自分」ならば・・・その完成形を目指す意欲や努力は幻を追い求める行為に過ぎないということに。執着するほど努力するほど自分の首を絞めることになりかねません。
ならば人は何を追い求めれば満たされるのか、ですよね。
それは「そのままの自分に還ること」だと思うのです。
キラキラしてなくても、愛されなくても、弱くて臆病でも、相当腹黒だとしても・・・全部を受け入れること。人に見せられないからと隠したり、無視しないようにただ認めてあげること。物凄い努力なんて必要ない。ただ内面に在るものを静かに認めることです。
きっと最初は可愛くなくて地味で不愉快と思うかもしれないけれど、その通過儀礼はどうしても必要です。拒絶のままでは・・・そのままの子達を育むことは不可能だから。
自分の個性を受け入れて認めたならば・・・個性は自ずと成長していきます。それは熟成といえるかもしれません。今まで手を掛けられていないだけに荒々しくてやさぐれていたとしても、表に出していくことで次第に洗練されるもの。社会に適合していくものです。
本当の自分でない「なりたい自分」を目指すことは苦行となり沼送り、
本当の自分に還ることを目指すならば行楽となり楽園行。
貴方はどちらの旅を選びますか?
今日も読んで下さってありがとうございます。 ご参考までに(^^)/