こんにちは、晏藤滉子です。
本日で連続投稿1344回目のブログとなりました(^^♪
「他人の人生を追いかけない」・・・
snsを眺めていたら気になるフレーズが飛び込んできました。
至極当然な言葉だけれど、結構それをしてしまうことあると思います。そして多分自覚もないのでしょう。私自身も気が付くとその状態に陥ていることありますから"(-""-)"
つまり生きていればありふれた状況ということ
親が「勉強しろ!」と迫る
上司が「期待してるよ」と繰り返す
パートナーが「もうちょっとシッカリして」と何気に上から目線
日常生活上のありふれたシーンです。
言い方や関係性によっては励みになるかもしれませんが、大抵の場合長続きはしないもの、だって楽しくないから息も詰まるから・・・
他人の人生を追いかけている時、原動力は「頑張ればその人が嬉しそうにしてくれるから」。極端な話、その人の反応に自分の時間や気力や体力を投じるようなものです。そして常に相手が自分の先を歩いている訳で、次第に相手の表情も見えなくなってしまうものです。後ろについているのですから当然見えないですよね。その人にはその人独自の人生があり、家族であろうが替わることはできません。家族や上下関係ならば「貴方の為に」という名目でコントロールしようとしがちです。真面目ないい人ならばつい応えてしまうことでしょう・・・気づくこともないままに。
そのような他人のコントロールに息苦しさを感じるならば、
「それが本当にしたいことなのか」と自分の本音にアクセスする時です。
確かに自分の望みでもあるならば、他人のルートから一旦離脱して自分独自のルートとして走り出す必要があります。あくまでも意識の上で立ち止まりルートを切り離すこと、相手に宣言する必要もありません。離脱の気配は相手にも伝わるもの、どのような反応をされても揺さぶられる必要はありません。
先ずは自分の尊厳を取り戻すことかもしれません。
他人の人生を追いかける暇はありませんから・・・
今日も読んで下さってありがとうございます。ご参考までに(^^)/
その「他人の人生追いかけている沼」に嵌っているサインは、
活力の消耗、しんどさなど・・・つまり