星読み・数読み・ジブン読み

晏藤滉子(アンドウ ヒロコ)です。心理学をベースに、西洋占星術と潜在数秘術で「意識の錬金術」を

世を忍ぶ仮の姿

     



こんにちは、晏藤滉子です。

本日で連続投稿1224回目のブログとなりました。

 

早速ですが・・・貴方はご自分の正体を分かっていますか?

正体というのは、表向きの仮面の下の顔。

 

勿論貴方はその存在を知っていたはずだし、感じていたに違いない。「他人とはどこか違う・・・」幼少の頃から薄々気づいていたと思うのです。

 

赤ちゃんは‟真の自分”としてこの世に誕生します。「純粋無垢」というと清らかな愛されキャラを想像してしまいますが・・・そうでもない。無垢だからこその鋭さや残酷さもあり、世の中の洗礼を浴びる可能性は多くなりがちです。「本当の自分」になると、それに相応しい人間が集まってくるという真理がありますが、生まれたての赤ちゃんには環境や人間関係を選ぶことは出来ません。今時「親ガチャ」という例えがありますが、ある意味核心をついています。

 

そこで、子供なりに本能で学習します。

 

こうしたら・・・親は怒る。

こうしたら・・・先生は喜ぶ。

こうしたら・・・友達は悲しむ。

 

生き残りをかけたサバイバルの先には、周囲と溶け込む存在になっているものです。でもそれは世の忍ぶ仮の姿・・・俗世に身をおいて怪しまれないための変装です。対して真の自分は純粋無垢なまま、自らの深い部分に沈められてしまうのです。

 

大人になり、仕事をして、家庭をもって、違和感を密かに感じながらもつつがなく毎日を送れる。これもある意味幸福かもしれません。でも運命とか神様って、時として残酷なまでに「本当の自分」をあぶり出す現実を突きつけることがあります。

 

「いい加減本当の自分に還れや!」と自分に檄を飛ばします

(イメージとしては関西弁)

 

世を忍ぶ仮の姿で生きるのか・・・、真の自分で生きるのか・・・、その選択は自分の意思決定でしかありません。大人になれば、もう親や社会のせいには出来ませんから。

 

ただ、どちらを選ぶとしても大切なことがひとつ。

 

それは「本当の自分」を受け入れ慈しむこと。こんな自分では嫌われるし、人は離れていくと勝手な妄想で貼ったレッテルを剥がしてあげることです。心の奥に沈めた純粋無垢な自分は、原石です・・・丁寧に磨き上げなければ道端の小石と同じです。

 

「本当の自分」は鍛える必要はありません。

その存在を認め、その声に耳を傾けることです。誰に臆することなく感情を豊かに表現させること・・・本当に小さい子供を育むことと同じかもしれません。

 

その積み重ねの中で、世を忍ぶ仮の姿は次第に色褪せていくものです。そして「本当の自分」を存分に表現する時、人間関係も同時に相応しいものに変わっていくものです。

 

仮の姿で生きるのか、素顔のままで生きるのか・・・どちらにしても貴方の意のままだと思うのです。

 

今日も読んで下さってありがとうございます。  ご参考までに(^^)/