こんにちは、晏藤滉子です。
本日で連続投稿1080回目のブログとなりました。
今日は4月と思えぬほどの暑さでした。
季節の変わり目は体に負担が掛かりやすいものです。どうぞご自愛くださいね(^^)
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最近つくづく思い知ることがありました。
それは「自分はどんな人間か=自己認識」は、他者を通して現実に反映するということ。
自分の事を内心・・・
信用できないと思えば、周りの人も私に不信感をもつ。
ポンコツだ無能だと思えば、上司やお局様からダメ出しの往復パンチ。
大切にされる価値がないと思えば、パートナーから「どうせお前は」と邪険に扱われる。
自分が自分にレッテルを張れば、他者を通して現実の中で経験するカラクリです。
よーく胸に手を当てて考えると、思い当たる節があれもこれもと湧き上がってくるかもしれません。
確かに自分のレッテルを最初に貼ったのは、親や身近な家族なのかもしれません。でも大人になる程に、自分でレッテルを張り続けているものです。
思い込みというレッテルは自分でしか剝がせないものです。例え他者からの評価などで一時剥がせたとしても、その思い込みを抱えていれば又繰り返すことになる。それは他者目線に振り回されることに繋がってしまいます
現実を変えるならば、先に意識を変えること。
大切なことは、自分にどれだけ許可を与えるのか・・・ということです。
大切にされていい、自由に行きたい所へ行っていい、好きなことをすればいい、自由に選択すればいい・・・自分の許可の度量こそが、他者を通して現実に観ることになるからです。
自己肯定感を上げるような遠回りではなく、「それもあり♪」と許し認めること。
そのほうがずっと楽で近道だと思うのです。どんな許可なのかは自分の勝手ですから。宣言する必要もありません。
「そんなうまい話ある訳ないじゃない」と思うかもしれませんね。
でも、自分への縛り(レッテル)がちゃんと具現化されている経験があるのなら、その逆は勿論可能に決まっている。
自分がご機嫌でいるためには、自分が許可を与えていくだけ。
シンプル過ぎてつい忘れてしまいがちだけれど、それが原点です。
最初はベイビーステップでも、許可の経験値を重ねるごとにその度量は大きく豊かになっていくものです・・・。
今日も読んで下さってありがとうございます。 ご参考までに(^^)/