こんにちは、晏藤滉子です。
本日で連続投稿1011回目のブログとなりました(^^)
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幸せのサイズというものがあります。
環境や人間関係など全て含めて「幸せに満たしたい」と思う責任の範囲です。
コアな自分を満たしたい
家族を幸せにしたい
友人知人など自分と絡む人たちを
社会に貢献したい
地域の人たちを・・・日本を・・・世界を・・・
このサイズ感というものは、意識の視野であり価値観で、それは人によって様々です。
半径10メートルの笑顔が最優先の人もいれば、
世界の子供達のより良き暮らしを常に意識する人もいる。
でも往々にして、サイズが小さいと利己的とか、サイズが大き過ぎると周囲から浮いてしまうこともありがちです。でも優劣なんてありません。しっくり馴染む幸せのサイズで生きることがベストであり、尊厳を守ることでもあるのですから。
時代の風潮から、幸せのサイズを捻じ曲げると苦痛を生じ、心は歪んでしまいます。サイズの合わない服は着心地がメチャクチャ悪いのと同じことです。
このサイズ感は、ある意味その人の基本的性質でもあり、理屈ではありません。どういう事に喜びや悲しみを見い出すのかは感性でありコントロール出来るものでもありません。勿論その時の年齢や状況でサイズ感は変化しますが、根っこのところではベストなサイズ感は定まっています。
よくあることでは、子供の頃の親や周囲からの刷り込みで、サイズを分かったつもりでいても実は違っているということ。そのような場合では、痛みを伴うような経験でピッタリな心地よいサイズを見い出すという現実が起こるものです。
だから、素直に正直にサイズを表現(オーダー)すれば良いだけのこと。
幸せのサイズ感は信念と価値観で決まるものです。
何に幸せを見いだし、何を守りたいのか・・・そこを見極めたならばそれを表現し行動に移すのみです。もしもサイズの合わない人と向き合う必要があったとしても、自分の望む幸せはしっかり握りしめ守ることが大切です。同時に相手の望む幸せを無視することなく理解した上で。
案外・・・身近な人との間で「幸せのサイズ」をちゃんと伝えることって少ないと思うのです。
今日も読んで下さってありがとうございます。 ご参考までに(^^)/