人間は感情の生き物です。
勿論、ウサギだって、猫だって犬だって感情豊かです。
怒ったり拗ねていたり・・・きっと感情を感じているはず。
でも人間は感情と自分を同一化する傾向があります。
それは人間だから、言語化できる生き物だからなせる業。
自分の心を占める感情にネーミングします。
嬉しい、楽しい、ときめくなどの陽の感情
悲しい、寂しい、怒り、嫉妬などの陰の感情
どちらも自分の感じている感情。
でも、自分と感情を同一化して言語化する時・・・
それは陰の感情の場合が多いものです。
というか放っておいても「陰の感情」に関しては、
いつの間にか同一化してしまう。
私は寂しい人間だ。
私は嫉妬深い人間だ
私は短気な人間だ。
何故だか、陰の感情は「自分そのもの」になりやすい。
嬉しい楽しい「陽の感情」はハートを通して昇華(良い思い出)になりやすい性質を持っています。反対に陰の感情は昇華することが出来ず、自分の心の奥底に澱のようにへばり付いている。まるで成仏できなかった地縛霊のように・・・。
大事なことは、この同一化に関しては、自分が自分にレッテルを貼っている場合が殆どです。だって、感情というのは自分でしか本当のところはわからないモノだから。
笑顔でいても心底嫉んでいたり
納得したフリをしても心底疑っていたり
本当の心のヒダは、自分にしか分からないもの。
自分と同一化した感情は、大人になればなるほど、自分自身の本質だと勘違いするようです。密かに抱えこんだ居心地の悪い「感情」を自分だと思い込んでしまうのです。
そして結局「自分は何て酷い人間だ」「なんて薄情な冷たい人間なんだ」と
「真の本質」からズレたレッテルを貼ってしまうものです。
忘れていけないことは、ひとつです。
「その感情」は本当の自分ではないということ。
そもそも感情は、貴方の身体を通過する波のようなもの。
あくまでも通り過ぎるものです。
例えば、スポーツ観戦の興奮、デモ集会などの憤慨など感情の連鎖が起こる場所では、感情という波動が人々の心中を通過していくものです。
だから、同じように怒り悲しみ興奮する。
でも、それは感情が通過するだけで「自分そのもの」ではない事が殆ど。
あくまでも「同調」です。
人間の性質上、感情やテンションを維持することは不可能です。
何処かで感情を体外に逃し、テンションは静まっていく。
通過する感情は自分の本質ではありません。
本質であったなら、醒めることはあり得ません。
だから、「寂しい私」「嫉妬深い私」「短気な私」は存在しない。
流行り病のようなものです。
*******
人間はレッテルを貼りたがります。
レッテルを貼ることで安心したいのかもしれません。
でも、自分自身に貼るレッテルは注意が必要です。
他人が貼るものなら「は?それが何か?」と跳ねつけても、
自身に対してのレッテルは「罪悪感」もセットで貼付されるから厄介です。
自分の本質とは別物なのに、単に通過する波動なのだから、
必要以上に意味を付けないで自分を苦しめないで。
きっと、「真の本質」は偽物と混同されてご立腹していることでしょう。
「どこが寂しい人間なんじゃーーーー!(怒)」
クドイようですが、その感情は自分そのものではない・・・のです。
今日も読んで下さってありがとうございます。 ご参考までに(^^)