星読み・数読み・ジブン読み

晏藤滉子(アンドウ ヒロコ)です。心理学をベースに、西洋占星術と潜在数秘術で「意識の錬金術」を

その感情は自分ではない

 

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人間は感情の生き物です。

 

勿論、ウサギだって、猫だって犬だって感情豊かです。

 

怒ったり拗ねていたり・・・きっと感情を感じているはず。

 

でも人間は感情と自分を同一化する傾向があります。

それは人間だから、言語化できる生き物だからなせる業。

 

自分の心を占める感情にネーミングします。

 

嬉しい、楽しい、ときめくなどの陽の感情

悲しい、寂しい、怒り、嫉妬などの陰の感情

 

どちらも自分の感じている感情。

でも、自分と感情を同一化して言語化する時・・・

それは陰の感情の場合が多いものです。

 

というか放っておいても「陰の感情」に関しては、

いつの間にか同一化してしまう。

 

私は寂しい人間だ。

私は嫉妬深い人間だ

私は短気な人間だ。



何故だか、陰の感情は「自分そのもの」になりやすい。

 

嬉しい楽しい「陽の感情」はハートを通して昇華(良い思い出)になりやすい性質を持っています。反対に陰の感情は昇華することが出来ず、自分の心の奥底に澱のようにへばり付いている。まるで成仏できなかった地縛霊のように・・・。

 

大事なことは、この同一化に関しては、自分が自分にレッテルを貼っている場合が殆どです。だって、感情というのは自分でしか本当のところはわからないモノだから。

 

笑顔でいても心底嫉んでいたり

納得したフリをしても心底疑っていたり

 

本当の心のヒダは、自分にしか分からないもの。

自分と同一化した感情は、大人になればなるほど、自分自身の本質だと勘違いするようです。密かに抱えこんだ居心地の悪い「感情」を自分だと思い込んでしまうのです。

 

そして結局「自分は何て酷い人間だ」「なんて薄情な冷たい人間なんだ」と

「真の本質」からズレたレッテルを貼ってしまうものです。

 

忘れていけないことは、ひとつです。

 

「その感情」は本当の自分ではないということ。

 

そもそも感情は、貴方の身体を通過する波のようなもの。

あくまでも通り過ぎるものです。

 

例えば、スポーツ観戦の興奮、デモ集会などの憤慨など感情の連鎖が起こる場所では、感情という波動が人々の心中を通過していくものです。

 

だから、同じように怒り悲しみ興奮する。

 

でも、それは感情が通過するだけで「自分そのもの」ではない事が殆ど。

あくまでも「同調」です。

 

人間の性質上、感情やテンションを維持することは不可能です。

何処かで感情を体外に逃し、テンションは静まっていく。

 

通過する感情は自分の本質ではありません。

本質であったなら、醒めることはあり得ません。

 

だから、「寂しい私」「嫉妬深い私」「短気な私」は存在しない。

流行り病のようなものです。

 

*******

 

人間はレッテルを貼りたがります。

レッテルを貼ることで安心したいのかもしれません。

 

でも、自分自身に貼るレッテルは注意が必要です。

他人が貼るものなら「は?それが何か?」と跳ねつけても、

自身に対してのレッテルは「罪悪感」もセットで貼付されるから厄介です。

 

自分の本質とは別物なのに、単に通過する波動なのだから、

必要以上に意味を付けないで自分を苦しめないで。

 

きっと、「真の本質」は偽物と混同されてご立腹していることでしょう。

 

「どこが寂しい人間なんじゃーーーー!(怒)」

 

クドイようですが、その感情は自分そのものではない・・・のです。




今日も読んで下さってありがとうございます。 ご参考までに(^^)