こんにちは、晏藤滉子です。
今日は私の独断と偏見シリーズ。
あくまでも個人的な考えですので悪しからずm(__)m
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普段の生活の中で、何らかの出来事が起こった時、
そこに運命的な意味を見いだす。
「これは必然に違いない」
特に、心の勉強やスピリチュアルの考え方においては
「意味のある偶然」は影響力のある現象です。
けれど、「必然」は捉え方によっては「罠」となる場合も。
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出来事はどこまで行っても「起こった事」でしかありません。
以前、人生はジグソーパズルと例えた時があります。
その意味では、詳細な出来事や出会い全てが
完璧に仕組まれた必然の連続です。
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
私はそのように思っています。
何故なら、全てが必然ならばそれはそれで窮屈な感覚です。
まるで運命に管理されているような。支配されているような。
運命や宿命に依存する事は個人的に好きではありません。
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あくまでも個人的な考えですが、
起こったことは「偶然」でスタートすればOKと捉えています。
だから、悔しいことも、焦ることも、
「ラッキー♡」と小躍りすることも、
悲喜こもごもの感情を楽しんでいきたいと思っています。
まぁ、負の感情はあまり歓迎しませんが、それはそれで・・・
そして、悪戦苦闘して泣いて笑って、無様な醜態さらしたり、
とにかく歩き続けてくたびれたら一休み。
そこで、振り返った時に「ここまで来たのはあの時のあの事から・・・」と
気づく時があるものです。
私にとって、それが初めて必然と確信するタイミングです。
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そうは言っても、以前はとんとん拍子に事が運ぶ度、
「これは必然に違いない」と思うタイプでした。
でも私の場合、「とんとん拍子」のその先は「警鐘を受けること」が
とても多かったのです。「必然」の筈なのに。
特に違和感を感じながらの「とんとん拍子」は
軌道修正だったり、挫折だったり、手放し、辛い事を伴いました。
長い目で観ると、当時の軌道修正は正解と捉えています。
ある意味「助かった」レベルです。
必然は必然でも、私の願望を叶えるためではなく
本当のコアな自分の為に、軌道修正の為に起こった
「必然」だったようです。
それに、「こんなに上手くいくのだから必然にちがいない」と
思い込みで「ココロの眼」が曇っていたのでしょう。
全て自分の違和感を信頼しなかったことが原因です。
だからこそ、今は最初から決めつけないで、
ニュートラルな視点でいるよう気をつけています。
そうすると・・・気が楽です。
「これは必然だ!」なんて思うと、変たところで気負ってしまい
偶然起こった出来事にさえ付加価値を与えまくり。
婚活中の女性が「必然の出会い」を期待する気持ちもよく分かります。
この人は運命の人に違いない。
運命も必然も魅力的な魔法の言葉です。
確かにそれは正解かもしれない。
でも、運命の人は単に幸せを運んでくれる人だけではなく
人生勉強の為にヒール役として登場してくれるパターンもあります。
だから、ニュートラルな立ち位置で「澄んだ眼差し」で
全体を観る事が大事かもしれませんね。決めるのは貴方自身です。
「それは偶然なのか?必然なのか?」
私は即答せずに、後からゆっくり答え合わせしていきます(^^)
今日も読んでいただいてありがとう♪ ご参考までに(^^)/