こんにちは、晏藤滉子です。
巷では「自分のやりたいことを見つける」を重要視する傾向があります。
確かに、自分のやりたい事に向かって真っすぐ進んで
結果を出している人は羨ましいほどキラキラしていますよね。
そういう人のsnsとか見て、私もオリジナルな生き方してみたいと
思うのは理解できます。
反対に、「私のやりたい事。目指す事って何だろう。」と
考え込んでしまう人も多いのではないでしょうか。
「やりたい事で生きていくのが願望なのに、見つける事すら出来ていない」
という方に向けて今日はシェアいたしましょう。
やりたい事で生きているということ
「やりたい事を見つけた人」
これは、多くの場合結果を見ているだけかもしれません。
勿論、イチローさんのように「大人になったら大リーグで活躍する」と子供の頃からビジョンが確定している人もいます。小学生当時の周囲の対応は「まぁ、頑張ってごらん」(でも無理だろうな)が正直なところでしょう。
でも、その後の活躍を観れば「そういえば子供の頃から彼は目標に向かって進んでいた」と評価が変わるものです。
話を戻しますが、「やりたい事で生きていく人」は殆どの場合、
それを見つけた発端はささいな偶然です。
ささいな偶然→行動→→→繰り返し→→→→→→→大きな結果
行動から結果まで、挫折あり、軌道修正あり、ルート迂回ありの山あり谷あり。
ささいな偶然の時「閃いた未来」からは180度違う景色だってアリ。
結果によっては些細な偶然が必然に化けるものです。
だから、成果を挙げた場合、「それを目指すためにやってきた」と
化ける訳です。
「終わり次第で全てストーリーになる」
意味の後付けですね。
だから、現在の自分が「やりたいこと難民」であっても、
何の問題はないのです。
「今」それが分からなくても、「未来」にその意味がきっと分かるから。
その為には、些細な偶然→行動のサイクルを連鎖させれば良いだけです。
それを繰り返す事によって自動運転で目標(やりたい事)に向かって
現実が少しづつ動き出す仕組みだから。
その仕組みで考えると、「やりたい事が見つかった」としても、行動に移さなければただの「夢見」になってしまいます。
「やりたい」想いを注入するタイミング
些細な偶然→行動のサイクルを連鎖させること。
これは大切なことですが、それだけでは人間の行動は枯渇してしまいます。
まして、まだ「何者にもなっていない時期」は不安になったり、凹んだり
良い事ばかりではありません。
だからこそ、偶然→行動のサイクルの時にこそ
「やりたい」という想いをエネルギーとして注入していきます。
沢山の選択のタイミングにおいて、
「好奇心」「関心」「喜び」「ときめく」などを判断基準にすること。
反対に「恐怖」「不安」「焦り」を判断基準にしては、
ますます枯渇し縮小しリタイアすることもあり得ます。
行動は拡大を生み、停滞は縮小を生むものです。
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「やりたい事を見つけたい」と誰でも一度は願う事。
「自分の天職ってなんだろう」と天職探しする人もいます。
でも、「見つけなくちゃ」「見つけられない私は情けない」となると
途端に執着となり重いエネルギーに変わるものです。
そもそも、「見つけられた人」は特権階級ではありません。
「やりたい事」はいつの間にか傍にいる「青い鳥」のような存在です。
動いていたら、「いつの間にか♡」がベストな捉え方かもしれませんね。
今日も読んでいただいてありがとう♪ ご参考までに(^^)/