こんにちは、晏藤滉子です。
最近、小さな反省をしました。
それは、友人に対して過干渉してしまったこと。
普段、人との境界線は大事とお伝えしていますが、
プライベートな関係だと、ついやっちまうものです(^^ゞ
転ばぬ先の杖で「過大な心配」をしてしまった事。
途中で気づき急ブレーキを踏む始末、心の中で「ごめんよ~」と
呟きました。
今日は自戒の忘備録としてもシェアいたしますね。
境界線の大切さ
境界線についてはしつこくシェアしてきました。
それは親密な人間関係における問題が集約されているから。
そもそも、優しい気持ちから始まった事。
大切な人の役に立ちたいと思うのは人の常です。
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「愛ある世界(関係性)では境界線なんてないのでは?」
と聞かれたことがあります。
確かにそれは真理だと思います。理想的なレベルのね。
但し、人間は一足飛びに「愛の世界上級編」に行くことは
難しいものです。
でもね、そんな世界は夢物語なのかというとそうでもない。
境界線を意識することによって歪んだ関係性が整えられた時、
いつの間にか境界線自体が消えてしまっている事があるのです。
相互の与える・受け取るのエネルギー量が等しくなった時
境界線は自然消滅するものかもしれません。
人生の宿題の提出期限は任意です
境界線を歪める原因は「その人の課題を助けようとする」が殆どです。
表現を変えれば、学校で出された宿題を親がやるようなものです。
先生は、実際誰が宿題をやっているのかはお見通し。
誤魔化しはききません。
親がやっている限り永遠に宿題は返され出直しをさせられます。
そして、正誤のマークシートではなく論文方式。
本人がどのように結論を導いたのか問われるものです。
一方、人生の宿題において提出期限は任意というルールがあります。
どの問題から取り組んでも良い。若いうちに済ましてしまう人もいれば、
伸ばし伸ばしになってお年寄りになっていることも。
お年寄りでも毎日が修羅場のような難しい顔ばかりしている人もいれば、
お地蔵様みたいに可愛らしい愛されるお婆ちゃんもいるのです。
「徳を積む」というのは宿題と真面目に取り組んだ結果なのかもしれませんね。
「人生の宿題」は生きている限りが提出期限です。
結論:宿題は自分でやりましょう
結論は「宿題は自分でやるしかない」ということです。
自分が「取り掛かるタイミング」と感じる時がその時。
本人がその気にならない限り「人生の宿題」は難攻不落です。
親や周囲は励ましは出来ても手を貸す事は出来ません。
頑張っているのに大声で「行けーーー!ガンバレー!!」と
外野で叫ばれたら、本人は逆切れしたくなるかも。
応援は程ほどに。
「絶対この子は大丈夫」と信じて祈る事が周囲のやれること。
そして、残念ながら力及ばずの場合の温かい居場所作りも
親密な関係だからこそ出来る事なのかもしれません。
先ずは「人の心配する前に自分の宿題に済ませましょう」です。
人に託すことの出来ない自分の宿題ですから(^-^)
今日も読んで下さってありがとう♪ ご参考までに(^^)/