こんにちは、晏藤滉子です。
今日は、「人生における遠回りについて」
シェアいたしましょう。
実はここ数カ月このようなテーマを連続して見聞きしました。
こういう偶然は重なるものですよね(^^)
この遠回りというのは、
一旦進んでいるルートから離れ、その後元の古巣に戻るという事。
仕事が行き詰まり辞めた。その後元の職場(同じ業種)に戻る
学校を辞めた。その後学校に入り直す。
恋人同士が別れた。その後、復縁する
結構身近にあるのではないでしょうか。
自分の意志で始めた事なのに、
ふと立ち止まり、疑問に思い、その道から外れることに。
その後、いろんな経験やら考えの結果、その期間は色々あれ
「古巣」に戻ってくる。
確かに時間軸で考えると、遠回りかもしれません。
何より本人は相当悩んだ末の行動です。
辞めた時も、古巣に戻る時もね。
その時の事情や意識の持ち方も人それぞれ。
でも、共通のキーワードがあるのです。
「やっぱり、また・・・」
「やっぱり」は、ある意味自分自身に宣言する言葉です。
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辞めた時も自分の意志。古巣に戻る時も自分の強い意志の場合
仕事であったなら、古巣はその人の天職かもしれない
学びであったら、その人のライフテーマかもしれない
パートナーとの復縁であったら「運命の人」なのかもしれない
つまり、青い鳥を探す旅に出たものの見つからず、
実際は青い鳥は身近にいたと気づくこと。
一旦離れることで自分の内側と向き合うこと。
「その過中」に入っていたら難しかったりするものです。
とは言っても、どんなことでもブランクが空いたら
古巣だからこそ戻るのは勇気がいります。不安にもなる。
でも、戻ると決めた「やっぱり」という自分への宣言は
行動を後押ししていきます。
また、遠回りなんて無駄なことしてしまった。
そんな想いがよぎるかもしれません。
でも、遠回りしたからこそ「やっぱりこれだ!」と自分に宣言
できたのです。
道から外れる前の、仕事や学びへの向き合い方と
古巣に戻ってきた後の、向き合い方とは立ち位置が全く違うのでは
ないでしょうか。
「自分の仕事」「能動的な学び」「大切にしたい人」
自分が時間をかけて選び抜いたことです。
その価値は時間をかけてでも見出した「青い鳥」です。
それは、決して無駄な遠回りではないと思います。
長い人生で考えたら、ショートカットなのかもしれません。
今日も読んで下さってありがとう♪ それではまた(^^)/