今週のお題「二十歳」
こんにちは、晏藤滉子です。
明日は「成人の日」ですね。
私にとっては二十歳は遠い昔かな。
今の私が当時の「私」を思うと、まだまだ子供でした。
二十歳でありながら、まだ親の管理下の元。
独り暮らししていたのに、大事なことは決められない。
与えられたものは受け取るけれど、自分で選んで取りに行く
ことをしない。「待っている女」でした。
今から思うと、「もっと自由に楽しめばよかった!」と
後になって思うもの。若い頃は一瞬ですからね(^^)
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私にとって大人の定義とは
「自分による自分の為の選択が出来る人」
行きたいところ、欲しいもの、交友関係など
自分にまつわる選択の主導権を握れる“器量”を持っている人。
そうは言っても、大人になって周囲を観てみると
なかなかお目に掛かれないものです。
誰かが勧めたから、決めてくれたから
それを選べば人間関係も壊れない。
自分で決めるよりも気が楽。
責任取らなくていいから。
そんな「基準」で決める人の多い事。
確かに、大人の責任は重いものだったりします。
それに、選択や決断は子供の頃からのトレーニングが必要だと
個人的に思っています。
トレーニングというより場数。慣れですね。
子供がお菓子売り場で「ひとつだけ」を選ぶ時、
帰りは誰と遊ぼうかさえも選択の場数のひとつです。
今の自分が持っている条件で
「本当に欲しいもの」を拾い出すトレーニング。
でも、つい親が先回りしてしまったり、
欲しいものは全部与えてしまったり。
愛情が元の事でしょうが「子供が選択に迷う場」を奪っている
ような気がします。
選択って単純な行為のようですが、慣れてくると
自分の為の選択が出来るようになるものです。
本当にしたい事、欲しい事、自分を大切にする選択を
自然と出来るようになる。
慣れていない場合、周囲の意見とかに流されて
「本当はどうしたいのか」分からなくなってしまうようです。
ランチのメニュー選びで迷うことと似ていますよね(^^)
そういう時に限って「そうでもない」ものを選んでしまう不思議。
小さいことならば迷うのも楽しいことですが、
大人の選択は時として重いものです。
一生を左右することもあります。
結婚、転職、独立など・・・
その大事な場で「自分はどうしたいのか」の嗅覚が冴えるように。
大人にとっての大切な嗜みなのかもしれません。
迷い過ぎて「そうでもないもの」に手を伸ばさないように。
「本当に欲しいもの」には、一生懸命向き合うものです。
それを大切にすることが「大人の器量」なのかもしれません(^^)/