星読み・数読み・ジブン読み

晏藤滉子(アンドウ ヒロコ)です。心理学をベースに、西洋占星術と潜在数秘術で「意識の錬金術」を

経験をシェアするということ。

心理学を学び始めた頃、苦手なことがありました。

 

それは、ワーク・トレーニングをグループで行う時、

そこから得た体感、経験などをお互いにシェアするということ。

 

当時はこれが何より苦手で

まだ、言葉で表現することがぎこちなく

超人見知りなため「初対面の人」に自分の体験を語ることなんて・・・・

 

自分のことを話すこと自体に

「ジャッジを受けるはず」

「どうせ理解されっこない」という前提が私にはあったようです。

 

もともと感覚優位なので、心理的ワークの感覚を掴むのはあまり苦労はしなかったけれど、その後のシェアは苦手というか好きではない。

 

 

でもね、ある時気付いたんです。

 

 

「シェア=発表・分かち合う」というイメージをどこかでもっていた頃

自己開示は苦手なことでした。目の前の人が審査員に見えていたから。

 

けれど、経験って誰ひとつとして同じことなんてなく

似たような経験はあっても同じことは経験出来ません。

 

もしも「その人の経験=神様・宇宙からのギフト」としたならば・・・

 

神様とか宇宙とか怪しい響かもしれないけれど

人生の流れを司る大きな何かからのギフトのイメージ。

 

人間は分かち合うことから意識の拡大がおこります。

独り占めしよう。出さないでおこうと思う時から意識の縮小が起こり

水は停滞し澱んでいきます。

 

だから

「シェアすること=自分が受け取ったギフト(経験)を次の人に託すこと」

 

ギフトには経験した本人の感情や想いがラッピングとして施されています。

そのギフトを他者に託すことによって経験を昇華させていきます。

シェアするという機会があるということは相互にとってベストなタイミングである筈です。

 

けれど「ジャッジされた」と感じる場面があるのなら

それは相手の「前提・思い込み」の問題です。

 

そのことからも、シェアを含めた自己開示というのは「安心安全な場所」でなくては傷つく危険性も確かにあります。

コアな繋がりで経験を安心してシェアできること・・・

そんな場を創りたいと考えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3日間実験したこと。

今日は木星蠍座入り。

変容、再生、深みに潜ること関わる事・・・そんなテーマが拡大されがちです。

 

9月に入った頃からその気配を感じていらっしゃる方も多かったようですね。

 

私自身、思考がザワザワお喋りし続けている状態が続いていました。

何ともエネルギーが漏れているような感覚です。

 

スッキリしない・・・

 

そのタイミングでの3連休。

以前から興味のあった潜在意識系の実験をしてみることに(^^)v

 

 

それは・・・

頭の中の思考のザワザワを自分の中心に置かないように、

潜在意識のつぶやきを拾い続ける3日間。

 

毎日生活しているとルーティンもある程度決まっているし

今日はこれを片付けておこう

あの人にメール送らなきゃ

仕事はここまでやっておかなくちゃ

急がなくちゃ などなど。

 

常に思考が大きい声でせかしてきます。それがこなせないとジャッジももれなく付いてくる。罪悪感もセットだし。不安もあおられる。

 

 

そんな中で、深呼吸して耳をすましていると合間合間に

小さい声で、

つぶやくように、

単語で、

もしくは一瞬の画像とか体感覚で囁きがやってくる。

 

洗濯・・・

床磨き・・・

眠たい・・・

喉 渇いた・・・

水遣り・・・

ボーっと力を抜いている状態で

脈絡もなく思いつく(ひらめく)感じかな。

 

その瞬間を受け取ったら思考の指示より優先させすぐ行動に移すこと。

(後で・・・はナシで)

 

 

最初はぎこちなく囁きを拾うけれど、

ひらめきが途絶えてボーっとすることもあるけれど、

二日目くらいには、自然体で囁きと付き合えるようになってきました。

 

あうんの呼吸で考えずに動けるようになって、それが心地よくなってきます。

疲れないし何だか楽しい。

今まで後回しにしてきたことがサクサク片付いている。

でも、やらされている感がしない。

 

3日目

いつの間にか頭が軽くなっている感覚。

地に足がつきグラウンディングがしっかりしている感覚。

リラックスしている感覚。しっかり眠れる。

 

それは思考の声(ザワザワ)がいつの間にか静かになっているからとも考えられます。

ジャッジされ、時間にせかされ、抑圧される「声」のボリュームが抑えられたから。

 

思考の声は確かに正論で生活を効率よく営んでいくには大切な声。

それで守られているのも確かですよね。

でも、その思考の声に自分を明け渡して、人生の舵取りをさせてしまうのは

自分で自分の首を絞めてしまうようなもの。

 

「本当の自分を生きる」というと何処から手をつけていいものやら・・・となりがちですが、自分の深い部分と付き合っていくって、こんな小さなことから

始めるのもアリかもしれませんね。