昨日の続き・・・。
ドーシャ体質は
ヴァータ:風、 ピッタ:火、 カパ:水 で表します。
(馴染みのない言葉なので、以後、風・火・水で)
私がシックリ来るのが、体質ごとの意識の持ち方、行動パターンの辺りです。
例えば・・・
「水」の父母に育てられた「風」の子供がいたとします。
「水」の親は、自分のフィルター(価値観、信念、思い込み)を通して
「風」の子供を育てます。
「風」の子供は好奇心が豊かでいつも落ち着きがない子。物忘れも多くて飽きっぽい、お稽古事も長続きしない。(キリギリスタイプ)
対して、「水」の親は我慢強くて物静か。おっとりタイプ。記憶力も抜群だし物事をコツコツ着実にこなしていく。(アリさんタイプ)
当然、アリさん親は子育てについて悩みがつきません。だって水と油のような真逆の質ですから、到底理解できない!
「どうしてこの子はこうなんだろ・・・」
キリギリスちゃんは、親からみたら残念ながらダメダメに見えるのです。
だから、アリさん親は「この子をちゃんと育てなくては!」と愛情ベースの
躾という行動(矯正)に励みます。
その中で、多くのパターンでは「親の質」が優位にたって子育てがされていきます。特に、子は親の分身と考えているパターン。何といっても、親は大人。
言葉の力もあるし、生活を支えている。
キリギリスちゃんは、アリさん父母に従う事が多くなってきます。
(だって、その方がパパママ喜ぶんだもん・・・)
でもね、キリギリスちゃんは胸の奥深くに、
持ち前の好奇心や快活な行動リズム押し込めています。
本来の大切な姿ですから消えません。
キリギリスちゃんは、大きくなるにつれてなんだか心がザワザワしてきます。
「何だかむなしい・・・」「自分が自分でなくなる」と。
そこで、親と自分は違う生き物なんだと猛烈にぶつけてくるのが思春期の反抗期です。大切に育ててくれた親さえも「毛虫」にみえるという魔の時期。
これは本来の自分を取り戻すための「改革」「戦い」なのかもしれません。
このタイミングはそれぞれです。(多くは思春期ですが)
思春期に「よい子」であったとしても、中年になってから急に会社を辞めたり、家族から離れたり、まるで人生にブチ切れ状態に自らまっしぐらの人もみかけますよね。
「本来の自分に戻る」という本能的な衝動なのかもしれません。損得考えたら「反抗期」はモノ騒ぎ自虐的なだけ。
でも、どうしようもなく必要なんですよね。産みのための苦しみです。
じゃ、どうすればよかったの?ってことですよね。
これは、気付くしかないかもしれません。(人間関係全体にいえますが)
親と子供は分身ではない(同一化出来ない)!
親には親の、子供には子供のフィルターがあり、共有することに囚われない!
(いや、共有できない!同じ方向は見れるけれど→ここが大事)
家族であっても「合う」「合わない」は当然!認めること!
「心配はしない」けれど「信用はする」。
占星術、数秘術も、アーユルヴェーダでも
「本来の完成された自分」を探求することを求められます。
絶対的な目標です。
何者かになろうとしても、それを許さないのは他ならぬ自分自身。
胸の辺りでザワザワモヤモヤした時、潜在意識からの感覚のサインなのかもし
れません。
「何がしたいの?気付きなさい」・・・と。