星読み・数読み・ジブン読み

晏藤滉子(アンドウ ヒロコ)です。心理学をベースに、西洋占星術と潜在数秘術で「意識の錬金術」を

蠍座満月によせて

   

 

4月24日8時49分、蠍座にて満月をむかえました

 

「心の新陳代謝が豊かさの鍵をにぎる」・・・蠍座満月図からのメッセージです

 

人間って自分の事であっても本当の事が解らないもの、勘違いしていることもあるものです。「私ってこんな人」と自覚するものは・・・周囲からの刷り込みであったり、経験という学習からの思い込みに過ぎなかったりする。ちょっと歪んだ色眼鏡を掛けているようなものかもしれません。歪んだ眼鏡で自分の内面と向き合っても・・・真の姿はハッキリ見えないものです。

 

幾つかの成功体験や失敗によってセルフイメージを勝手に固め、自分という存在を囲い込もうとする。日頃感じる不自由さは自ら課した「枠」によるものなのでしょう。

 

この時期、貴方はもしかしたら深い失望を感じることがあるかもしれません。

失望とは自分に対して他者に対して大きな勘違いをしていたという気づきです。「自分は一体何を分かったつもりでいたんだろう」・・・深い失望は自分で設えた「枠」が綻んできた証、ある意味限界突破の兆しです。

 

自分を縛る不要な思い込みや感情を手放すことを宇宙は促しています。手放すことで今の自分に相応しいものが必ずやってきます。意識が変わることで環境や人間関係の新陳代謝も巡り始めることでしょう。とはいえ、ずっと抱えてきた頑固な思い込みや感情は貴方を縛りながらも、馴染んでしまっているもの。それを手放すことに痛みや恐れを覚えるかもしれません。でもそれは幻です。新しく拡がる景色は想像もしなかった世界だから・・・高揚感で後ろを振り返ることはあり得ないでしょう

 

今のこの時期・・・心の新陳代謝を恐れない事が大切です。

心の色眼鏡でみていた人間関係や環境を今一度見直し、手放すことです。今まで黒に見えていたものが実は白だったということもあるでしょう。思い切って三下り半を突きつけることもあるかもしれません。運命が廻り始めたと感じたならば、「今までの自分」に甘んじないこと、人生に新しい風を吹き込ませることです。

 

リセットすることで、独りぼっちになることはありません。自分に相応しい人間関係が必ず構築されているものです。いつの間にか傍にいる・・・そんな気にさせる人達が集まっていることでしょう。自ずと「新しいセルフイメージ」も輪郭がハッキリするものです。肝心なのは深刻にならず気軽に過ごすことです。深刻さは過去に寄っていくもの、気軽さは未来に寄っていくものだから・・・意識を向けるベクトルには注意が必要な蠍座満月です。

 

                    

                         以上です。

 

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ハレとケのお弁当

今週のお題「お弁当」

  

   

 

こんにちは、晏藤滉子です。

本日で連続投稿2109回目のブログとなりました

今回は今週のお題「お弁当」について、個人的な呟きですので悪しからずです('◇')ゞ

 

「ハレとケ」・・・非日常と日常の境界線がハッキリしているのが「お弁当の世界」だと思います。お花見とか運動会など‟ハレのお弁当”、それこそ朝3時起きで気合を入れたお弁当も良いのですが、個人的には毎日学校に持って行く‟ケのお弁当”に思い出が詰まっています。愛着ですね(^^)

 

ケのお弁当って「いつもの」安心感があるんですよね。作る人の性格もあるけれど、おかずやゴハンの配置も何となく決まっているし、色合いも茶色っぽくなる。友達のお弁当を何気にみても、卵の黄色とプチトマトの赤色そしてブロッコリーの緑が色合い要員になっている。ケのお弁当って茶色が正義なんですよね(^^♪

 

お弁当は家族間のコミュニケーションと云われます。

私がお弁当を持って行く側だった頃、作り手の母親の状態が露になるのもお弁当でした。私の母ってあまり感情を出さないタイプだから基本変化はそう見られない。でも玉子の焼き方とか、おかずの詰め方など・・・焦り(時間なかった?)怒り(口ごたえしたから?)の気配を感じることも。母親も人間ですからね

 

友人のお弁当はなかなか面白く、親子喧嘩の翌日なんて「尖ったお弁当」 茹で卵だけとかピーマン丸ごと焼いたのだけとか・・・お昼の時間の伝説のネタになったこともありました。どんな状態でも作ってくれるところに愛があったので、そこは‟笑いのネタ”となる訳です。

 

大人になって作る自分の為のお弁当、ふと母親と同じレイアウトで詰めていることに気づきます。教えられた訳でもないのに定番の副菜とかご飯の詰め方とか・・・だし巻き玉子なんてそっくりです。お弁当という原風景が刷り込まれているのでしょう。

 

やはり記憶に残っているのは‟ケのお弁当”だと思うのです。

慣れ親しんだ地味目のお弁当は懐かしく思うもの。それに定番だったお弁当箱っていつまでも捨てられないものかもしれません。実家には大昔の「101匹わんちゃん」のお弁当箱がまだ残っているのですから・・・

 

 

今日も読んでいただいてありがとうございます。 それではまた(^^)/

 

 

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